夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

この時節の鼻歌は、若き頃は『五月のバラ』、先ほど心の中で唄った歌は『涙そうそう』となり・・。

2011-05-01 14:18:17 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり.
家内と遅い朝食を終えた後、改めてカレンダーを眺め、5月を迎えたのか、
とぼんやりと感じたりした・・。

そして若き独身の1973(昭和48)年の頃は、
この時節の鼻歌は、尾崎紀世彦さんの『5月のバラ』を小声で唄ったりしていたことを思いだされた。

♪5月 この僕が帰る
 まばゆい5月

【『5月のバラ』 作詞・なかにし礼、作詞・川口真 】

私はこの当時たまたまレコード会社の管理系の情報畑を勤め、
奮闘していた28歳前後で、世の中は怖いもの知らず意気揚々として、
世間の怖さを知らない男であった。

そして恋もしていたが、何故かしら失恋の方が多く、
生涯の連れ合いの愛(いと)しき人に逢うことのない時期でもあった。

♪忘れないで 忘れないで 
 時は過ぎても

【『5月のバラ』 作詞・なかにし礼、作詞・川口真 】

http://www.youtube.com/watch?v=Fa2WK8yYs9Y
☆【『5月のバラ』 作詞・なかにし礼、作詞・川口真、唄・尾崎紀世彦 】

このような歌を唄ったりし、失恋を痛手を慰めたりしていた。


先ほど、家の中を整理していて、少し休憩ね、と家内に言った後、
煎茶を飲み、そして庭のテラスに下り立ち、しばらくぼんやりとしていると、

♪古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
 いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ

【『涙そうそう』 作詞・森山良子、作詞・BEGIN 】

この歌を心の中で唄っていたのである。

この後、私はどうして『涙そうそう』なの、と戸惑ったりした。

昨日、書庫にある本箱の最下段に並べているアルバムを取りだして、
家内と久々に見たりした。

そして、私たち夫婦は36年の歳月を過ごしてきたが、
あの方にお世話になったねぇ・・あの人にご迷惑をかけた・・
古き写真の数々を見たりして、お互いに呟(つぶや)いたりした・・。


このようなことが脳裏の片隅に残っていたのか、と『涙そうそう』の歌を
唄ったのかしらと微苦笑したりした。

この後、この歌は夏川りみさん、森山良子さんが唄っているが、
やはり私は男性のひとりであるので、好きなBEGINを【YouTube】を検索したりした。

http://www.youtube.com/watch?v=lNG6phzQAII&feature=related
☆【『涙そうそう』 作詞・森山良子、作詞・BEGIN、唄・BEGIN 】


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『卯月』の4月に別れを告げ、そして『皐月』の5月を迎え、私は微苦笑を重ねながら・・。

2011-05-01 10:36:42 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の65歳の身であり.
今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、『卯月』の4月のカレンダーにさよならすると、
新たな『皐月』の5月のカレンダーを見ながら、ようこ~そ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

その後、主庭のテラスに下り立ち、どんよりと曇った空を眺め、
そして新緑の樹木を眺めたり、朱紅色、淡い紅色の躑躅(ツツジ)の花、
群生させた鈴蘭水仙(スズラン・スイセン)の純白の花を誉めたりした・・。

こうした情景を眺めたりすると、『晩春』、『惜春』、『薫風』などを思い重ねたり、
或いは『ゆく春の惜しまれる今日この頃・・』、
『微風は心地よく感じ・・』などと心の中で呟いたりしていた。

この後、居間に戻り、地元の天気情報をネットで見たら、
朝の6時は14度、昼下がりは21度前後、夕暮れの6時は19度前後で、
午後より小雨が降る、と報じていた。

私はこの一週間は皐月晴れに恵まれたのだから、
多くの人は大型連休の中、行楽疲れなどで骨休みをしなさい、
そしてご自宅で家族の団欒のひとときを過ごしなさい、と思ったり、
樹木、草花に雨の恵(めぐみ)を受け、ときには人も植木も良いかしら、
と天上の気候の神々の采配に微苦笑をしたりした。

この後、机の引き出しから、私のメモ帳代わりとなっているカレンダーを取り出して、
少し見ながら、微苦笑をしたりした・・。

予定事項は、殆ど空白で、あった。

定年退職後の私は、世の中の大型連休が終った頃、
毎年6泊7日前後の国内旅行をしてきたが、過ぎし3月11日の東日本大震災後、
私たち夫婦は、身の回りの整理を本格的にしょうと、ここ10日ぐらい行ってきた。


私たち夫婦は、築後33年ぐらいの古惚けた一軒屋に住み、
子どもに恵まれなかったので、たったふたりだけの家族となっている。

いずれはどちらかが片割れとなり、
残された方は、やむなく小さなマンションの転居のことも考えられるので、
私たちがお互いに元気のあるうちに、家の中にある物を少しずつ整理をしょう、
と話し合い、行ってきた・・。

衣服、本などをしてきたが、いつか着る、いつかは読みそうだ、
と思っているものは、やむなく処分としてきた。


たまたま若き頃に、映画・文学青年の真似事をした体験もあり、
小説、随筆、歴史書、現代史など本は5000冊前後、
映画作品としてビデオ・DVDが1000本前後ある。

そして現役時代に音楽業界のあるレコード会社に35年ばかり勤め、
製作畑ではなく、管理畑の片隅に勤めていたが、
少しづつ買い求めた結果として、レコード、カセット、CD、DVDの総数として
3000枚前後となった。

こうした中で、小説、随筆、歴史書、現代史など本は少なくとも3000冊前後は処分してきたが、
あとは映画作品の収容棚、そして音楽作品の収容棚も未整理なのである。


そして昨日、押入れの整理を家内がしていると、
写真のアルバムから対象外となった大量の写真が出てきて、私たちは長らく見つめたりした・・。

アルバムは20数冊は書庫の本棚の最下段に羅列しているが、
その時その時にアルバムに写真を追加してきたが、失敗作の写真は対象外として、
何かしら捨てるのがもったいないとして、家内は大きめの袋に収納してきたのである。

私たちが結婚した1976(昭和51)年の春の頃からの少しピンボケた写真、
知人、親戚の方たちが、欲しくなさそうな写真の数々であった。

私は齢を重ねた今は、少し肥満体になっているが、
若き日は、こんなに痩せていたのか、と私は家内と苦笑しながら話し合ったりした。
そして私、そして家内のヘヤー・スタイル、身に付けている衣服を見たりし、
しばらく、あの当時は・・と私たち夫婦は微苦笑を重ねて、長らく話し合ったりしていた・・。

このようなことであるので、整理が進まず、
この5月は、私たち夫婦の身の回りの整理期間となり、
ぐずな私でも、家内の指示に基(もと)づいて、いそいそと整理に追われる日々となる。


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