夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

遥か遠い昔の昭和35(1960)年の夏、私が高校1年生で初めての独り旅をして・・。

2011-05-22 09:41:47 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市で農家の三男坊として生を受けたのは、
昭和19(1944)年の秋であった。

長兄、次兄に続いて私は生まれたのであるが、
祖父、父は三番目は女の子を期待していたらしく、幼児ながら私は感じ取り、
いじけた可愛らしくない言動が多かった。

その上、兄ふたりは学校の成績も優等生で、
私は地元の小学、中学校の学業は、私だけが通信簿『3』と『2』の多い劣等生であった。
『お兄さんのふたりは・・優秀だったのに・・』
と先生から通信簿を頂くたびに、ため息まじりで私に言ったりした。

この間、父が小学校2年の時に病死され、祖父も翌年に亡くなり、
大黒柱ふたりを亡くした生家は、その後やむなく農業をとりやめ、
母はアパート経営などで生計をし、私たちは育った。

こうした中で、私は小学3年生ぐらいから、独りで映画館に行き、
映画作品に熱中したり、群れをなして行動するのは苦手で、
何かと独りで行動することが多かった・・。

昭和35(1960)年の春、私は兄ふたりの影響のない都心の私立の高校に入学して、
突然に学業が楽しくなり、クラスの中で初めて上位グループのひとりとなり、
読書などに目覚めた時であった。


このような高校1年の夏休みの時、初めて独りで旅行に思い立った・・。

夜、東京湾の晴海埠頭(はるみ・ふとう)から乗船し、早朝に伊豆大島を訪れた後、
午後に出航する観光船で、伊豆半島の下田港に向かい、下田にある観光旅館に宿泊する。
そして翌日は半島の西岸を観光周遊バスで、名所に立ち寄りながら北上し、
修善寺にある観光旅館に宿泊した後は、三島まで私鉄を利用し、国鉄で東京駅に帰京するプランであった。

このプランは、ご近所の旅行会社に勤めていた方から立案して頂き、
クーポン券のような周遊予約済の観光ルートであった。


旅行鞄のボストンバックを提げて、
白いワイシャツと黒の長ズボン、革靴と通学とまったく同じ様な容姿で、
東京の晴海埠頭から東海汽船の観光船で、大島行きに乗船した。

確か夜の10時に出航し、翌朝の4時前に大島の岡田港の沖で着いて、
島の朝が動き始める6時頃に入港した、と記憶している。

この間の乗船していた時は、仕切りのない大部屋のゴロ寝のような感じで、
私は大部屋の片隅に横たわり、旅先の盗難を警戒したかボストンバックを握りながら、
不安げに眠れない深夜を過ごしたのであった。

岡田港に下船した時、高波警戒の注意報の掲示板があり、
少し不安げに私は見つめていた。

私は午前中に大島の観光バスで半日周遊をした後、
午後、元町港から下田港行きの観光船に乗り、
下田の観光旅館に予約済みであったのである。


このような思いがあったので、うつろな思いで、
初めての大島の情景を車窓から眺めていた。

半日周遊観光の終点は元町港であったが、
下田港方面は本日欠航、
と私は掲示板を見て、小心者の私はどうしょう、
と内心うろたえたのである。

しばらくした後、下田港、伊東港は欠航、
熱海港は午後2時過ぎに出航、と報じられた・・。

私は予期せぬ周遊で、熱海港行きの観光船に乗船したが、
観光客で満席となり、私は客室に入らず、
ボストンバックを握り締め、サン・デッキ付近の小さな椅子に腰掛けた。


空一面は、わずかな雲で快晴の青空が拡がり、
私は燦燦と照り昼下りの陽射しを全身に浴び、
果てしなく海原が広がる情景を眺め、
そして潮風を受けながら、
私は心身爽快な心となった・・。

この当時は、俳優の加山雄三が演じた若大将シリーズ映画が、
盛んに映画館で上映されていた時代であったせいか、
海に魅了される人たちの思いも解かったような心情となった。


わずか1時間半ばかり航路であったが、
熱海港を下船後、私は東海バスの下田行きの路線バスの乗車場所を何とか探し、
乗り込んだのである。

この当時は、伊東から下田までの伊豆急行が開通前の時期で、
鉄道の施設の工事を盛んにしていたので、埃りっぽい中をバスで南下したのを、
おぼろげに記憶している。


下田に着いた後、予約した観光旅館を探し当て、
大浴場で心身を清めていたが、余り疲れを感じることなく、
何とか予約した観光旅館に着けた、
という思いが強く、安堵したのである。

夕食の時、和服を召した綺麗な若き女性の仲居さんが、
『何か・・お飲みものは・・』
と私は訊(き)かれ、
『・・サイダー・・お願い・・』
と私は若き仲居さんに少し見惚(みと)れながら、
不馴れな浴衣姿で照れながら云ったりした。

この後の周遊は、予定通り順調であった。


私は16歳をまもなく迎える前、独りで初めての旅行をし、
今となっては、愛惜ある旅のひとつとなった。

この当時の私は、もとよりビールの味も知らず、
和服を召した若き仲居さんに、綺麗な女の人、と感じながらも、
うっとりと恥ずかしげに見つめるだけの少年であった。


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