夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

幾つになっても、つたない私は、ときには物狂いになり、我ながらあきれ果て・・。

2011-05-17 13:49:57 | 定年後の思い
私は民間会社に35年ばかり勤め、2004(平成16)年の秋に定年退職となり、
その後は年金生活を始め、買物、散策などの時、四季折々のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりして過ごしている。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。


本に関しては、小説、随筆、歴史書、現代史が圧倒的に多く、
過日5000冊前後あった本を大半処分した結果、
居間と書庫だけ本棚となった今、2000冊ぐらいかしら、と感じている。

映画の場合は、VCT、DVDを専用棚に於いて1000本前後あり、
ときおり選定し、居間で観賞している。

音楽については、たまたま私は音楽業界のあるレコード会社に勤めた影響で、
レコード、カセット、CD、DVDが、過日に処分もしたが、
やはり専用棚として1000枚ぐらい残し、
ステレオセットを定年前に処分し、やむなくCDラジカセで聴いたりしている。

幾たびか友人、知人などに上げたりしてきたが、
若き青年時代に映画、文学青年の真似事をした時代もあり、
倹約したり、一食を抜いて購入した本、レコード、そして映画を観たりしたので、
中々捨てきれないのである。
しかし、本と映画は、これからの老後を配慮し、過日に大半を処分した。


古ぼけた築後33年の一軒屋で、このような中でつつまれていると、
誰しも同じような体験があると思われるが、
私は熱病のように無我夢中となったりする時があった。

一時的な3ケ月前後で終わることが多いが、
少なくとも1年以上続いたのを振り返った時、私なりに微苦笑しているのである。


音楽の場合は、1971(昭和46)年にシャンソンの『バルバラ』に魅了され、
その後は『金子由香里(かねこ・ゆかり)』を盛んに聴いていた。
この当時は、レコードが主流であったので、
擦り切れる程度の少なくとも百回以上聴き惚れていた・・。

1964(平成元)年の少し前の頃には、
シンガー・ソング・ライターの『中島みゆき(なかじま・みゆき)』を偶然に聴き、
カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生のいく度かの苦境の時に、3曲から救われ、私の秘かな女神となっている。

そして1997(平成9)年の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
瞬時に魅了され、帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。


映画に関しては、小学4年生の頃から独りで、
たびたび映画館に通ったりしてきた体験も加わり、
これが原因で、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の直前に、大学を中退し、
映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、
古本屋まで行って買い求めたりし、一年後には500冊ぐらいなったりした。

そして、脚本家として『橋本忍(はしもと・しのぶ)』を神様のように信愛した。
映画監督の場合だと『デビット・リーン』、『セルジオ・レオーネ』に夢中になったりしていた。
アルバイトをしたりして、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。


その後、文学に移り、純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読したり、
小説分野に於いては、私としては魅了され突出した作家としては、
『立原正秋(たちはら・まさあき)』であった。

この当時の私は、確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品に残れず、三回ばかり敗退し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970(昭和45)年の春であった。

その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、随筆の場合は、作家の『山口瞳(やまぐち・ひとみ)』、
紀行文は『宮脇俊三(みやわき・しゅんぞう)』を熱読したりしていた。

テレビの脚本は圧倒的に『倉本聰(くらもと・そう)』が多く、
随筆も数多く精読している。


定年後に魅了された作家は、
『塩野七生(しおの・ななみ)』、『嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)』、
随筆は『藤原正彦(ふじわら・まさひこ)』、
ノンフィクション作家は『佐野眞一(さの・しんいち)』が、突出している。


私は幼少の頃から単細胞の為か、ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様に、
この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、寝る間をほしんで物狂いになる・・。

恥ずかしながら、齢を重ねても私の悪い癖は、ときたま活火山のようになるので苦笑する。

そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と名言にあるので、私は困ったなぁ、と思ったりすることがある。


いずれにしても私のつたない感性で、
この広い世の中で、偶然に目に留まったり、聴いたりした人々の方たちである。
そして、私なりの人生の心の宝物と思ったりしている。

尚、このように綴ると、私自身の思想、信条、そして日常の心情が解かるので、
発露をするのは少し危険かしら、と微苦笑しているのである。


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徳永英明さんの『翼をください』の唄声で、私は朝を迎えて・・。

2011-05-17 07:25:51 | 定年後の思い
ばんやりと私は曇り空の朝を迎え、新聞が未着であったので、
パソコンを開いた。

そして地元の天気情報を見たりした後、何気なしに【YouTube】を開いた・・。

【おすすめ動画】が明示され、
徳永英明『なごり雪』、『翼をください』、GLAY『However』などが表示されたのである。

私は3年前の頃から、【YouTube】に会員登録をして、
ときおり音楽を視聴しているので、
【YouTube】の基本システムに基づいて、傾向として、
このような曲が【おすすめ動画】として、選定された、と微苦笑したのである。

そして私は『なごり雪』はやはり早春の情景なので、
『翼をください』を指定して、クリックしたのである。

http://www.youtube.com/watch?v=-jBtH8hwtzU&feature=related
☆【『翼をください』 作詞・山上路夫、作曲・村井邦彦、唄・徳永英明 】☆

私は徳永英明さんの透明感あるシルキー・ヴォイスの圧倒的な歌唱力で、
この歌を視聴をした・・。

そして、確かフォークグループの『赤い鳥』が、
1971(昭和46)年の頃に唄われた曲だよねぇ、と思い馳せながら聴いたりしたのである。

この歌を終えた後、体力も衰えた66歳の私は、
市販のビタミン剤より、少なくとも百倍は心身共々元気を頂いたのである。

このようにぼんやりとしていると、
新聞の朝刊が配達された音が聴こえ、私はバソコンの前を離れたのが、
今朝の6時であった。


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