夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京の郊外は、早くも『走り梅雨』かしらと思いながら、私は微苦笑して・・。

2011-05-10 21:46:14 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
今朝、淡き陽射しで迎えたが、午後の3時過ぎから小雨が予測され、
昼下りは曇り空の中で27度前後がなります、
と地元の天気情報は報じていた・・。

家内が駅前の歯科医院に午前11時に治療の予約していたので、
私はホディーガード兼お供で、家内と共に川沿いの遊歩道を歩いたのであるが、
蒸し暑いような感じで、今年初めてだょ、と私は家内に言ったりしていた。

駅前で家内と別れ、いつものようにコーヒー・ショップの『ドトール』で待ち合わせすることし、
私は本屋に寄り、総合月刊雑誌の『文藝春秋』(六月特別号)を買い求めた後、
『ドトール』でアイス・コーヒーを飲みながら、『文藝春秋』を読んだりした。

この後、家内と合流した後、スーパー、専門店で買物した後、
雨が降りそうな気配を感じて、やむなく食事処で昼食を取りやめ、パンの販売店に寄り、
帰宅することにしたが、歩いていても蒸し暑く汗が流れて、お互いに苦笑した。

帰宅後、着替えたりし、買い求めてきたパンを私たちはアイスコーヒー、
冷やしてあるペットボトルの煎茶を飲みながら、昼食代わりとした。

この後、午後の3時過ぎから小雨が降りだして、
気象庁の予測は正確だねぇ、と私たちは微苦笑した。


先ほど、明日からの天気情報をパソコンで検索していたら、
明日の11日は、朝の6時は15度前後、昼下りは12度前後、そして午後の6時は13度前後で、
本降りの雨となり、ときおり強い雨脚となる一日と表示されていた。

明後日の12日は、雨時々曇り、最低気温は13度前後、最高気温は20度前後、
その後の13日も、雨時々曇りで、最低気温は19度前後、最高気温は27度前後、
と予測されていた。


世の中は大型連休が終わり、少し静寂な日が過ぎて、
梅雨のような長雨を迎えるので、
確か『穀雨(こくう)』は4月の20日過ぎた頃だし、
『春霖(しゅんりん)』にしても、春の長雨のことだし、
そして五月雨(さみだれ)』は現世では6月中旬から7月に降る断続的に降る長雨だし、
こうしたことに思いを馳せると、
本格的な梅雨の前ぶれの序曲として、早くも『走り梅雨』かしら、と私は思ったりした。

しかし平年ならば5月中旬から下旬なのに、
天上の気候の神々も、せっかちな性格に変貌したのかしら、と苦笑したのである。


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定年退職後、毎月10日の予定日は、『文藝春秋』の発売日、と私は家内に応(こた)えて・・。

2011-05-10 08:00:22 | 読書、小説・随筆
は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
2004(平成16)年の秋に定年退職し、年金生活をし始めると、
カレンダーに記入している予定事項の空白が多いのである。

冠婚葬祭、家内と国内旅行、家内と都心のデパート、専門店で買物、友人との居酒屋での懇親会、
そして歯の治療の伴い、歯科医院に通院する日・・このくらいしか予定がなく、
サラリーマンの多忙だった現役時代に比べ、愕然としたこともあった。

平素の年金生活は、買物の専任者となった私は、独りで殆ど毎日スーパー、専門店で買物をしたり、
散策をしたりして、季節のうつろいの情景に心を寄せたり、
このサイトに、その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
投稿したりしている。

そして大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている。

そして、ときたま小庭を手入れをしている程度である。


昨日も家内から、明日の予定は何かあるかしら、
と私は問われて、
『明日の10日は・・『文藝春秋』の発売日よ・・』
と明るく大きな声で家内に言ったりし、家内から笑われたりした。

総合月刊誌のひとつである『文藝春秋』のことであり、
毎月10日に発売日となり、私は定期購読しているひとつである。


私が『文藝春秋』を定期的に読み始めたのが、
1970(昭和45)年の25歳の時であった・・。

私の雑誌に関しては、これまでの簡略暦を恥ずかしながら綴る。

私は1944(昭和19)年に東京の郊外の農家の三男坊として生を受けた。
祖父、叔母、両親、兄2人などの7人の家族であり、
小作人の方たちの協力を受けて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして多忙期の時などは、農業大学の研修を目的とした実習生なども受け入れていた。
このような家庭環境であったが、
本にしても雑誌に関しては、農協の発刊する『家の光』しか記憶がなかったのである。

私が小学4年生を過ぎた頃、
都会から引越しされた同級生のサラリーマンの家に遊びに行った時、
居間にある書物を見て、余り多くあるので驚いて、
子供心に衝撃を受けたのである。

この頃の私は、月刊の漫画雑誌のひとつの『少年画報』などを下校の時、
本屋で買い求め、読みながらとぼとぼ帰宅したりした。


私が読書に目覚めたのは、高校生になってからである。
人並みに文学の文庫本、単行本を買い求めたりしていたが、
授業の時事に魅了されたので、週刊誌の『朝日ジャーナル』を購入し、
海の彼方のケネディなどの政治家に心酔していた。

大学に入学する前後から、映画専門雑誌の『キネマ旬報』に熱中し、
小学4年生の頃から独りでたびたび映画館に通ったりしてきた体験も加わり、
これが原因で大学を中退し、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。

その後、文学に移り、純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読したり、
総合雑誌の『文藝春秋』を不定期に購読していた。


1970(昭和45)年の25歳の時、映画・文学青年の真似事も挫折し、
遅ればせながら企業に中途入社をして、社会人のひとりとなった。
この時、私は余りにも一般的な常識の政治、外交、軍事、経済、社会などに欠けていたことに気付かされ、
劣等感も抱きながら、総合月刊雑誌の『世界』、『中央公論』、『文藝春秋』を毎月読むようになったのである。

この頃は、血気盛んな私は独身青年であったので、娯楽週刊誌の『平凡パンチ』まで読んでいたので、
私は秘かに『世界』から『平凡パンチ』まで雑誌を読んでいるのは、
日本広しといえども私ぐらい、と自惚(うぬぼ)れしてもいた時期であった。

しかしながら、たまたま音楽業界のレコード会社に勤めて情報畑で奮闘していると、
数多くのサラリーマンと同様に多忙となり、
やがて結婚をしたり、住宅ローンの返済に苦労したりすると、
次第に格調高い『世界』の知識についていけず、
『中央公論』だけは時折、特集記事により購読するようになった。

そして結果的には、毎月に愛読している総合月刊雑誌としては『文藝春秋』だけとなり、
定年退職後の今でも、このようになっている。
高齢者2年生の66歳の私にとっては、毎月秘かに逢える友のひとりとなっている。


私はそれぞれの寄稿文を読みながら、私と同じような思いに安堵し微笑んだり、
記載されていることの内容が程度の低いことと感じられ、綴られた著者に失望したり、
或いは私が無知だったことを知り、謙虚にご教示頂いたりしている。

ここ数年の楽しみのひとつとしては、毎月10日に発売されているが、
その日の朝、読売新聞に広告として掲載されている・・。
この時に特集記事が明記されているので、私は読みながら、やはりこの記事だった、
と私なりに予測していたことと同一の場合は、独り微笑んでしまうのである。

尚、私は『文藝春秋』の数多くの寄稿文で、読みながら理解出来なくなった時は、
ボケた時と確信し、やむなく、この世とおさらばし、自裁する時と思ったりしている。


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