私たち夫婦は30日の朝、明日は帰京する日なので、
旅の終りとして、どちらを訪ねようか、と少し迷ったりしたが、
やはり付近の情景の中で散策しょうと『金比羅火口散策路』に行こう、と決めたりした。
温泉街の外れにある私が建物として、圧倒的に魅了された『ビジターセンター』の横から、
『金比羅火口散策路』に向い歩き始めた。
そして標識が見え、正式名所は『金比羅火口災害遺構散策路』と学び、
濁流、土砂などの川のような大きな溝が観られ、所々に防止の堰き止めのコンクリートがあり、
過ぎし日の2000年3月に噴火した有珠山噴火体験を次世代に伝承し、
減災につなげる遺構として、噴火災害の様子をそのまま保存した散策路と理解した。
そして少しばかり登り道を登ると、左側には蒼い水をたたえた有ちゃん火山口、
右側の奥には珠ちゃん火山口が見られ、
やがて熱泥流に押し流された橋や、泥流、火山灰に埋もれた建物などが見られ、
当時の噴火による大災害の状況が理解できる散策路となっていた。
この後、まもなく中学生の20数名が先生方4名に引率され、
それぞれの標識案内板の近くで説明を受けたりしていたので、野外講習、と感じたりした。
そして私たち夫婦は、歩き続けると落葉樹が多く観られるようになり、
朱紅色、黄色に染められた情景となり、どの地域でも見られる林道の錦繍の時の情景となった。
その後、おだやかな林道のような散策路を下っていると、
前方の彼方の森の外れに煙が立ち昇る状況が見られた。
『もしかしたら先日の石焼きさんの処かしら・・』
と家内が私に言ったりした。
『西山火口散策路の入口に近い方角だし・・可能性は大だねぇ・・』
と私は応(こた)えた。
『お昼代わり、寄りますか』
と家内は私に訊ねると、
『行きましょう・・軽食代わりに最高ねぇ』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように明るく大きな声で賛意した。
この後、私たちは10分ばかり歩き、過ぎし27日に訪ねた石焼きに行った。
そして独りで賄(まかな)っている中年のご婦人は、驚いた表情で私たちを迎えた。
『煙が立ち昇っていましたので、こちらのお店かと思い・・来ました』
と私は挨拶代わりの言葉を明るく言ったりした。
そして廃材を活用した小屋風の前で、やはり廃材の素朴な椅子に私たちは座り、
卵、皮ごとに焼いたトウモロコシ、そしてジャガイモを注文して、
まもなく素朴なテーブルに置かれた。
この間、賄(まかな)って下さる中年のご婦人と私たちは、
この地域の天候状況などを和気藹々と談笑したりした。
そして茶色した鰹節の棒状のような品が四つばかり置かれ、
『サービスです。よろしかったら、食べてみて下さい』
と中年のご婦人は私たち言った。
私は割り箸でこの品を口に入れた後、歯でかじるようにしていたら、
風味のあり奥行きのある味をする食べ物で、私は訊(たず)ねると、
『トバです。秋鮭を干した後、お醤油に味醂を加えた・・この地方の保存食です。
手でむいてほぐしても、或いは炙(あぶ)っても・・お召し上がりいただけます』
と私に教えてくれた。
『香ばしい食べ物ですし・・お酒にも合いますよねぇ』
と呑兵衛の私は応(こた)えた。
そして私は、ビール置いてありますか、と中年のご婦人は言ったりし、
私はビールを吞みながら、この美味なトバを頂いたりした。
そして70代の経営者の男性が戻り、私は再会の悦びの挨拶したりし、
談笑したりした。
この後、店内にあるトバを買い求めたりしたが、
焼き卵を6つサービスとして頂き、私たちは滞在している観光ホテルに帰還した。
翌日の朝、今回の洞爺湖フリープランに参加した私たち一行は、
ロビーの片隅に9時20分に集合し、やがて観光ホテルの送迎バスに乗車し、
新千歳空港から午後2時発の航空機で、都心の外れの羽田空港に向った。
《終》
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旅の終りとして、どちらを訪ねようか、と少し迷ったりしたが、
やはり付近の情景の中で散策しょうと『金比羅火口散策路』に行こう、と決めたりした。
温泉街の外れにある私が建物として、圧倒的に魅了された『ビジターセンター』の横から、
『金比羅火口散策路』に向い歩き始めた。
そして標識が見え、正式名所は『金比羅火口災害遺構散策路』と学び、
濁流、土砂などの川のような大きな溝が観られ、所々に防止の堰き止めのコンクリートがあり、
過ぎし日の2000年3月に噴火した有珠山噴火体験を次世代に伝承し、
減災につなげる遺構として、噴火災害の様子をそのまま保存した散策路と理解した。
そして少しばかり登り道を登ると、左側には蒼い水をたたえた有ちゃん火山口、
右側の奥には珠ちゃん火山口が見られ、
やがて熱泥流に押し流された橋や、泥流、火山灰に埋もれた建物などが見られ、
当時の噴火による大災害の状況が理解できる散策路となっていた。
この後、まもなく中学生の20数名が先生方4名に引率され、
それぞれの標識案内板の近くで説明を受けたりしていたので、野外講習、と感じたりした。
そして私たち夫婦は、歩き続けると落葉樹が多く観られるようになり、
朱紅色、黄色に染められた情景となり、どの地域でも見られる林道の錦繍の時の情景となった。
その後、おだやかな林道のような散策路を下っていると、
前方の彼方の森の外れに煙が立ち昇る状況が見られた。
『もしかしたら先日の石焼きさんの処かしら・・』
と家内が私に言ったりした。
『西山火口散策路の入口に近い方角だし・・可能性は大だねぇ・・』
と私は応(こた)えた。
『お昼代わり、寄りますか』
と家内は私に訊ねると、
『行きましょう・・軽食代わりに最高ねぇ』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように明るく大きな声で賛意した。
この後、私たちは10分ばかり歩き、過ぎし27日に訪ねた石焼きに行った。
そして独りで賄(まかな)っている中年のご婦人は、驚いた表情で私たちを迎えた。
『煙が立ち昇っていましたので、こちらのお店かと思い・・来ました』
と私は挨拶代わりの言葉を明るく言ったりした。
そして廃材を活用した小屋風の前で、やはり廃材の素朴な椅子に私たちは座り、
卵、皮ごとに焼いたトウモロコシ、そしてジャガイモを注文して、
まもなく素朴なテーブルに置かれた。
この間、賄(まかな)って下さる中年のご婦人と私たちは、
この地域の天候状況などを和気藹々と談笑したりした。
そして茶色した鰹節の棒状のような品が四つばかり置かれ、
『サービスです。よろしかったら、食べてみて下さい』
と中年のご婦人は私たち言った。
私は割り箸でこの品を口に入れた後、歯でかじるようにしていたら、
風味のあり奥行きのある味をする食べ物で、私は訊(たず)ねると、
『トバです。秋鮭を干した後、お醤油に味醂を加えた・・この地方の保存食です。
手でむいてほぐしても、或いは炙(あぶ)っても・・お召し上がりいただけます』
と私に教えてくれた。
『香ばしい食べ物ですし・・お酒にも合いますよねぇ』
と呑兵衛の私は応(こた)えた。
そして私は、ビール置いてありますか、と中年のご婦人は言ったりし、
私はビールを吞みながら、この美味なトバを頂いたりした。
そして70代の経営者の男性が戻り、私は再会の悦びの挨拶したりし、
談笑したりした。
この後、店内にあるトバを買い求めたりしたが、
焼き卵を6つサービスとして頂き、私たちは滞在している観光ホテルに帰還した。
翌日の朝、今回の洞爺湖フリープランに参加した私たち一行は、
ロビーの片隅に9時20分に集合し、やがて観光ホテルの送迎バスに乗車し、
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