夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

過ぎ去りし2008年、秋山郷に往還した時の錦繍の情景を思い馳せれば・・。

2012-11-08 12:53:21 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
昨夕、本棚をぼんやりと見ていて一冊を取りだした・・。
磯部定治・著の『鈴木牧之の生涯』(野島出版)の単行本であるが、再読してしまった。

そして深夜、私は2008年の10月下旬に『秋山郷』を往還した旅路を思い馳せたりした・・。


私が秋山郷の名を知ったのは、遅ればせながら25年前の頃であるが、
新潟県の大河の信濃川に注(そそ)ぐ中津川の奥まった処であり、
新潟県と長野県にまたがった渓谷沿いにあるので、
自動車を所有しない我が家は、はなはだ遠方すぎ、未知の地となっていた。

たまたま2008年の10月下旬に志賀高原の発哺温泉滞在に2泊3日の団体観光バスツアーの旅で、
秋山郷を周遊するコースがあったので、
私たち達夫婦は魅了させられて、ツアーに参加の理由のひとつとなった。

そして私は、江戸後期の商人、随筆家として、『北越雪譜』などを遺(のこ)された鈴木牧之に関しては、
若き日の二十歳過ぎに読んだりしていたので興味を増し、
この時の旅の前には磯部定治・著の『鈴木牧之の生涯』(野島出版)を初めて読んだりし、『秋山紀行』も学び、
そしてネットで秋山郷に関してそれなりに調べたりした・・。

このような思いで、私は中型バスに乗車して、宿泊先の発哺温泉から旅立った。

奥志賀高原までの上る道程、そして緩(ゆる)やかな下り道、
いずれも狭くカーブの多い奥志賀林道、そして雑魚川林道から、秋山郷の最上流の切明までは、
1時間半ばかりの車窓からの情景は、まさに錦繍の世界であった。

道路沿いに薄(ススキ)の群生は穂先が白さを増し、
落葉樹の圧倒的に多い黄色に染められた色合いの中、
所々(ところどころ)に散見できる朱色の色模様は、鮮やかな色合いとなっていた。

このような中で、陽射しを受けたり、枝葉の木漏れ陽は地上や周辺をゆらめき、
そして、ときおり微風が吹くと、黄色に染められた葉が空を舞いながら、地上に落下していた。

私は思わず、
『夢のような情景だね・・林道ではなく・・夢街道だね・・』
と隣席の家内に言ったりしていた・・。


私達は、中津川を下るように秋山郷の集落の『切明温泉』、山源木工の付近に
ある『蛇淵の滝』を観たり、
そして『前倉』は渓谷となり、対岸に聳える岩は錦繍に染められ、一幅の絵画となっていた。
この景観を眺めながら、昼食となった。


《画面をクリックしますと、拡大されます》

自由食であったが、地元の食材を加味した食事処で、お握(にぎ)りと茸(きのこ)汁などを
私たちと同行した人が多かった。
呑兵衛の私は、食事処の片隅で地酒のワンカップを見つけて、
そして炉辺で焼かれている岩魚(イワナ)を私たち夫婦はそれぞれ2匹づづ頂き、
私はワンカップの地酒を2本吞みながら、家内は煎茶で岩魚を誉(ほ)めたりした。

その後、秋山郷の入り口に当たる『見玉不動尊』で、
眼病に良いと称せられて折、私は近眼で老眼を感じているので、丁重に参拝した後、
清流があふれるように流れていたので、小岸で記念として私は顔を洗ったりしたのである。

このような戯(たわむ)れも多かったのであるが、
江戸時代の後期に鈴木牧之・著の『秋山紀行』のような過酷な環境と違い、
現在は豊かな田畑や里山の情景となっている。

『結束』集落にある石垣の田圃(たんぼ)は、
津南町観光協会の発刊した『秘境 秋山郷 ~人が抱く本来の故郷~』に寄れば、
《・・
江戸時代、秋山郷では、穀物をはじめ、農作物の収穫が極めて少なく、
天明・天保の飢餓では多くの村が滅びてしまった。

そんな背景の中、明治時代の始め、「石垣田」の開田が始まった。
それまでは粟(あわ)や稗(ひえ)が主食だったが、「米を食べたい」その一心で、
石だらけの急斜面地を村人たちは競うように開拓したようだ。

重機などない時代、作業は難航した。
中には、5人がかりで3日間もかけて動かした巨石もあると言われている。
その石垣は積み方も工夫が施され、現在でも殆ど当時のまま残されている。
・・》

そして、樹木はブナ、トチノキ、白樺(シラカバ)、片栗粉の原料となる片栗(カタクリ)の花は大切にされている、
と記載されたりしている。

最近の民宿に於いては、
白米のご飯、黍(きび)ご飯、鹿(シカ)肉、岩魚(イワナ)があり、
山菜としては、行者大蒜(ギョウジャ・ニンニク)、ゼンマイ、蕨(ワラビ)、コゴミ、ウド、ミョウガ、
茸(きのこ)としては、舞茸(マイタケ)、ナメコ、椎茸(シイタケ)
そして、里芋(サトイモ)、山芋(ヤマイモ)、筍(タケノコ)、豆腐(トウフ)などが、
食膳として頂けると聞いたりした。

このような山里の食材であったならば、都心の高級食事処より、
遙かに健全で確かな美味に頂ける、と私は確信を深めた。


宿泊地への帰路、ふたたび雑魚川林道を通った時、
バスのドライバーさんのご好意で、臨時停車となり、錦繍の美麗な情景を私達は鑑賞できたのである。
数多くの人も私もカメラで写し撮ったが、
その人なりの心に残る思いに、勝(まさ)るものはない、と私は実感したりした。






秋晴れの中、日中の大半に於いて、錦繍の世界に心酔した私は、
私たちと同行した多くの方は、日頃の行いの良い人ばかり、
或いは強運の人ばかり、と私は微笑んだりし、帰館した。

このような『秋山郷』を往還した旅路を深夜のひととき思い馳せたりしたのである。

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コメント (2)
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