夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

はかなくも夢幻の淡き夢、齢ばかり重ねた私は目覚めれば・・。

2012-11-14 16:15:00 | 定年後の思い
私は独りの老師に導かれて、庭園を導かれていた・・。

何かしらにのような初夏のような情景の中、私は老師の少し後ろに歩いた。

          

そして私は左前方から目の前に広がる光景に、ため息をしたりした。

          
その後も老師に導かれて、私は老師の少し後ろに歩いた。

          

この後、少し歩くと老師は、
          
『いかがでしたか?』
と私に訊(たず)ねられて、私はなぜか言葉は発することができなく、微笑みの表情を浮かべるばかりであった。
そして老師は微苦笑を浮かべながら、私を手招くように歩きだした。

          

この後の私は、茶室の前にいて、
私はどうした訳が分からないが、お茶会に招待され、和菓子は避けて、抹茶を頂いている。
周囲の客人も面識のない女性ばかりであった。

この後、私は独りで軒下でたたずみ、
枯山水の庭を眺めていると、老師がふたたび現れて私の傍に寄ってきた・・。
そして老師は、軒下にいた部下のような40代の男性に簡易な椅子を二席用意させ、
私に座るように目でうながしている・・。

私はこの庭園を創設された足立全康(あだち・ぜんこう)氏とは面識がなかったが、なぜかしら招待を受けて、
初めてお逢いできた老師が足立全康氏と瞬時に解かったが、
確か1990(平成2)年の年末近くに亡くなわれたお方なのに、
どうしてなの、と改めて感じたりしていた。

私は座ると、家内のような女性が抹茶の茶碗を私に手渡した・・。

私は頂ただくと、常温の純米酒であることに気付き、
私は照れて、扇子を取り出し、扇(あお)ぎはじめた・・。

『お気に頂けました・・?』
と創設者は私に訊(たず)ねた。

『これだけの庭を創られたこと・・大変な事と・・感じました・・
思いつきはどなたでも出来ますが・・いざ、具現化する時には・・
資金があったとしても・・出来ないことでして・・』
と私は言った。

創設者は微苦笑して、私の家内のように人に、
私が頂いている抹茶茶碗を指して、お代わりを持ってくるように、手振りをしていた・・。

私は気付き、
『充分・・頂きましたので・・』
と言ったが、声にならなかった。


ここで突然に情景が変わり、しばらくした後に私は目覚めた。
夢かょ、と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

私は齢ばかり重ねた68歳の身であるが、思い込みの激しい人なので、
関心のある方、興味のあることが、幼年期より夢の中で、よく見ることがある。
亡くなわれた足立美術館の創設者が夢の中で出てきたのである・・。

確か一か月前の頃に、『足立美術館~日本庭園と近代美術~』(山陰中央新報社)、
足立全康・著の『庭園日本一 足立美術館をつくった男』(日本経済新聞出版社)の2冊を再読したりしてきた。
最初の一冊は足立美術館の基本解説書であるが、
あとの一冊は美術館の依頼主の人生の軌跡であり、つたない私なりに気になるお方である。

こうしたことが脳裏に残り、不可解にも夢幻と現(うつつ)の世界を行き来することもある。

今朝、ぼんやりと小庭のテラスに下り立ち、落葉樹の朱紅色、黄色に染め始めた情景を眺めながら、
過ぎ去りしの2007〈平成19〉年の6月中旬に、山陰地方を私たち夫婦は旅をした中で、
この時に足立美術館に初めて訪れた。

私は枯山水の庭は、日本の各地で10数ケ所しか観ていないので、
設計されたお方の創作に基づき、作庭師が具現させながら、庭師の方達が従事する総合作業と思い、
依頼主の思考を加味させた総合芸術のひとつと確信している。

その上、季節の移ろいに応じて変化する景観なので、
創作はもとより維持管理は苦労の絶えない庭と感じている程度である。

従って、素人なので観た感覚しか綴れない。

最初に感じたのは、借景が十二分に生かされたゆるぎない美の結晶と思い、
5分程、眺めた後は、確固たる美でありすぎるので、心に余情が生まれないのである。

こうした思いになると、西洋人の一部のお方が絶賛する理由が分かるのである。

いずれにしても、その季節の移ろいごとに眺め、
百年後の風雪に耐えた枯れた庭を観たい気になるが、こればかりは叶わぬ夢である。

私は絵画、彫刻の世界には興味はないが、陶芸の世界は多少興味がある程度である。

館内から茶室の『寿立庵』までの飛び石の配置、
そして松を中核とした庭には、和(なご)やかな心となり、素直に感銘をした。

晩秋のひととき、この茶室で抹茶を頂ただき、余情を感じたまま、
その後、枯山水の庭を眺めるのも一考かしら、と夢をみたりしている。


このように当時は感じたりしていたが、
やはり私は幼年期に農家の児として育てられたので、自宅の付近の小公園の情景に
やすらぎを感じのである。
          
年金生活をしている私、もとより庭園を造れる財力もなく、
こうして、錦繍の時節を迎えた今、桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
ぼんやりと、時が止まったように静寂なひとときを過ごすのが、悦びのひとときである。

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