夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

初めて写真掲載、遅ればせながら68歳の私が手習いして、微苦笑を重ね・・。

2012-11-04 16:57:03 | 定年後の思い
私は年金生活の高齢者4年生の68歳の身であるが、
定年後にブログの世界を知った後、パソコンの故障、国内旅行で出かけた以外は、
自宅から日々投稿文を重ねて、8年となっている。

諸兄諸姉の投稿を読ませて頂くと、ここ5年ぐらい殆どの方が心ある写真を添付し、
いつまでも文章だけでは時流に残されてしまう私なりに憂慮してきた。
特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。

本日の昼下がりのひととき、私は遅ればせながら写真添付に挑戦した。
初めての手習いの身で、自動車で表現するならば、教習所でハンドルを始めて手にしたようで、
若葉マークも付けられない技量に乏しい限りであるが、
誰しも最初は不安を秘めながら、と思い投稿した次第です。

この添付掲載した写真は、東京郊外の調布市の片隅みに住む私が
四季ごとに散策している『都立 神代植物園』の過ぎし年の11月1日の情景です。
ほんのりと染め始めた一葉です。

この一葉も同じ日に写した一葉です。

今後の投稿文に関して時折、写真添付をする決意ですので、
未熟な技量とセンスにご笑話して頂ければ幸いです。

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この時節の東京の郊外は、私は秘かに『錦繍月(きんしゅうづき)』と命名し・・。

2012-11-04 07:33:11 | 定年後の思い
私は年金生活の高齢者4年生の68歳の身であるが、
昨日の朝、カレンダーを見ると、『文化の日』と朱記されていたので、微笑んだりした。

私の住む所は東京郊外の調布市であるが、世田谷区と狛江市の隣接した調布市のはずれにあり、
付近には霞嶺神社、明照院があり、私の生家も近くにある。
私は結婚前後の5年を除き、この地を60数年ばかり過ごしているので、
心のふるさとの原景も我が家の周辺にある。

毎年、11月3日の『文化の日』の頃から、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染めはじめ、
23日の『勤労感謝の日』の頃になると、周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められている。
この後は公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が主役となり、彩(いろど)りを見せ、
舞い散る頃に12月の『師走(しわす)』の初旬を迎えている。

このような情景を毎年この時節の錦繍の情景の移ろいに、齢を重ねるたびに心深く寄せられているので、
この11月はもとより『霜月』とか『雪見月』と古来より称せられているが、
私としては、秘かに『錦繍月(きんしゅうづき)』と命名している。


昨日の朝のひととき、地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時は10度で、日中は風もなく秋日和の暖かな陽射しに恵まれて16度、
その後の夕暮れ後の6時には12度となっていた。
そして夜のひととき月を眺めれば、何かしら微笑んでいるように見え、
ときおり恥じらうように雲隠れしていた。

私は、このような移ろう錦繍の情景に、ときめきを感じながら見惚(みと)れ、
日頃の運動不足を兼ねて、独りで付近の遊歩道、公園などに出掛けることが圧倒的に多くなり、
歩き廻っているのは、定年退職後の習性となっている。


私は定年後は日常の買物の担当となっているので、
午前中にスーパーで買物をした後、昼過ぎに散策した・・。

私の住む近くには野川が流れていて、少なくとも40年前に、
護岸工事のされて整備され、川沿いに遊歩道や小公園も新たに設けられたりしている。

私はさわやかな秋日和の中、この野川の遊歩道を歩きだした・・。

澄み切った青空で風もなく、『文化の日』の祭日の為か、
家族連れの方たちの散策されたり、ジョキングをされる若い人たちを見かけたりした。

川の流れも清流で音もなくゆるやかに流れ、水面は昼下がりの陽射しを受けてきらめいて、
水辺の近くには群生している薄(ススキ)は、所々散乱したようにあるが、白い穂となっている。
こうした中で、小鷺(コサギ)、大鷺(ダイサギ)、カルガモの親子が遊泳していたり、
或いは白鶺鴒(ハクセキレイ)、カワセミ、ときおりコゲラなども飛来してきているが、
私は興味がなく、陽射しを受けた眩(まばゆ)い川面に見惚(みと)れたり、
そして清冽な水の流れを見つめたりした。

この後、桜並木のような数多くの桜を眺めたのであるが、
たわわな葉の中、ほんの一部が朱紅色に染められて、私は微笑んだりしたが、
小公園にある欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、ハクウンボク、ヒメシャラ、
イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどは、
色合いは初秋の余情であり、晩秋の錦繍には程遠かったのである。

帰路、野川の遊歩道からはずれの団地の近くを歩いていたら、
花水木(ハナミズキ)が朱紅色に染まり、陽射しを受けて光帯びていたので、
しばらく私は見惚(みと)れたりした。
そしてこの中の一本の樹は、早くも散りはじめて、小枝にたわわな朱色の実を付けていた。


帰宅後、庭にある無花果(イチジク)、紫木蓮(シモクレン)の多くの葉が、黄色く染めはじめ、
紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実は、紫色に染められたのを私は眺めたりし、
散策は一時間半ばかりであったが、自宅の小庭の情景も加味して、
少しは錦繍の情景の初めとしては、確かに受容できたと思ったりしている。

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