夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

木の芽時(このめどき)が過ぎ、幼いあまたの葉を広げて、新緑を迎えて・・。

2013-04-04 15:16:57 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
午前中のひととき平素の買い物担当の責務を終えると、殆ど自宅の周辺の住宅街の路、
近くの小公園、或いは近くに流れる野川の遊歩道を歩いて、季節のうつろいを受容している。

過ぎし2月を終えた頃は、平年より寒いが多かったので、
3月を迎えると、我が家の小庭は遅ればせながら日本水仙、白梅、紅梅が仲良し恋しと彩(いろど)る中、
突然に幾たびか4月の中旬のような陽気に恵まれて、遊歩道を歩いたり小公園に寄ったりした時、
日本水仙から白梅、花桃、そして平年より早くも桜花まで3月にめぐり逢えるのは、
62年ばかりこの地域で過ごした記憶がある中で、初めてだ、と戸惑いながらも悦んだりしてきた。
      

こうした中で、落葉樹の欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は芽吹き、
幼年期に農家の児として育った私は、見惚(みと)れながらも何よりも愛惜を感じながら、
今年もしなやかに過ごしなさい、と何かと天上の両親、祖父などに励まされてきた。

そして木の芽時(このめどき)と称せられる落葉樹の数多く雑木の芽吹きが終わり、
幼いあまたの葉を広げて、新緑に時節に向っている。
               

私は過ぎし3月28日の昼下がり、満開となった桜花を愛(め)でようと、近くの小公園で心は充たされた後、
付近にあった大きな欅(ケヤキ)の樹に見惚(みと)れて、長らく眺めていた・・。
               
私は1944〈昭和19〉年に北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の農家の三男坊として生を受けた。
私が地元の小学校に入学した1951〈昭和26〉年の4月当時は、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの好意の手助けを借りて、
程ほど広い田畑を耕し、この田んぼの中には小さな川が流れ、湧き水もあり、
竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

そして母屋の宅地のはずれに蔵、物置小屋と称した納戸小屋が二つばかりあったりし、お稲荷さんもあり、
この地域の旧家は、このような情景が、多かった・・。

この当時は、徒歩15分ぐらいの京王線の最寄駅まで、
殆ど田畑が広がり、雑木林、竹林なども観られた田園風景であった。

こうした中で生家の母屋の中の一面は土間となり、この外れに竈(かまど)が三つばかり有り、
ご飯を炊いたり、煮炊きをしたり、或いは七輪の炭火を利用していた。

板敷きの居間は、囲炉裏であったが、殆ど炭火で、家族一同は暖をとっていた。
                              

雑木林は欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラなどを中核とした古来よりの武蔵野台地に見られる雑木であり、
特に欅(ケヤキ)は、生家は宅地の防風林として、畑との境界線に数多くあった。

この欅(ケヤキ)が育ち過ぎて間隔が狭まったのを配慮して、
秋に田んぼの稲の米を収穫した後の晩秋期、
祖父、父、そして小作人だった人の協力を得て、薪(まき)にする為に毎年数本切り倒していた。

樹高は少なくとも30メートルがあり、主木の直径は50センチ程度は最低限あり、
大き目の鋸(のこぎり)で30センチ間隔で輪切りにし、
この間に作業が一段落した後、祖父は鋸(のこぎり)の目立てをしたりしていた。

その後、輪切りにした欅(けやき)を鉈(なた)で薪(まき)割りをし、
陽当たりの良い所で乾燥をさしていた記憶が、今でも心の片隅に残っている。

そして、枝葉は竈(かまど)で薪(まき)を燃やす前に使用していたので、
適度に束ねて、納戸の外れに積み上げられていた。

このようなことは、生家の近くの旧家でも多く観られた。

その後、1955〈昭和30〉年の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957〈昭和32〉年であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に大きく変貌した。

昨今、私が地元の小学校に通った旧街道を散策すると、旧家の4軒は、
大きな欅(ケヤキ)が数10本並び、市道となった道路との垣根の代わりに聳(そび)えている。
そして私はこの旧街道を歩くたびに、幼年期の頃の生家の情景が想いだされ、
そうだったよねぇ、と遠い昔に思いを重ねたりしている。


こうした心情を秘めている私は、大きく変貌となった昨今の情景の中で、
大きく聳(そび)えている欅(ケヤキ)を見かけと、 私は立ち止まり、しばし眺めることが多いのである。
               

私は生家の近くに1978〈昭和53〉年の春に、一軒家を構えたが、
つたない私は小庭しかなく、せめてと思い小さな樹を植えたりしている。
               
                モミジ、常緑樹の金木犀(キンモクセイ)、赤目モチなどであり、
      
    この常緑樹も、この季節になると新芽が伸びている。

そして私が民間会社を2004〈平成16〉の秋に定年退職した時、
偶然に小鳥が落としたのが、やがて幼い樹となり、私は何かと悪戦苦闘が多かったサラリーマン時代だったので、
定年退職の記念樹と思いながら、年金生活の中で四季折々眺めてきた・・。

そして先ほど見たら、幼い葉を広げて伸びている。
                 

このような思いを多々秘めながら、この木の芽時(このめどき)が過ぎ、
そして幼いあまたの葉を広げて、新緑を迎えている昨今、今年もお逢いできましたねぇ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりしている・・。


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