夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『清明(せいめい)』の時節を迎えて、つたない私でも心を新たにして散策を重ねて・・。

2013-04-05 18:33:17 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを眺めると、『清明(せいめい)』と明記され、思わず私は微笑んだりした。

落葉樹が芽吹き、やがて幼い葉を広げはじめる中、
草花も待ち焦(まちこ)がれたように花を咲かせ、
そして春の明るい陽射しの光につつまれて、清らかに生きている万物に恵みの時節かしら、
と私は解釈している・・。

私は過ぎしここ10日ばかり、桜花より梅の花が好きであるが、
平年より早く満開となった桜花に心を寄せ、見惚(みと)れてきた・・。
               
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に於いては、
染井吉野の桜が咲き、やがて山桜、そしてフィナーレとして八重桜が咲くのが、
平年の習わしとなっている。

私は染井吉野、そして山桜の桜花を眺めて、ある日には、

   世中にたえてさくらのなかりせば
             春の心はのどけからまし
                         作者・在原業平朝臣

   久方のひかりのどけき春の日に
             しず心なく花のちるらむ
                         作者・きのとものり

   山里の春の夕暮きてみれば
             入相の鐘に花ぞ散りける
                         作者・能因法師

こうした遥か千年前の頃の古人が詠まれた歌を思い浮かべたりしている。


こうした中で、落葉樹の欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は芽吹き、
                
幼年期に農家の児として育った私は、見惚(みと)れてきた。

やがて木の芽時(このめどき)と称せられる落葉樹の数多く雑木の芽吹きが終わり、
幼いあまたの葉を広げて、新緑に時節に向っている昨今である。
               
私は定年後の年金生活で平素の買い物専任者となり、
殆ど毎日スーパー、専門店で買い物した責務を終えた後、
自宅の周辺の住宅街の路、近くの小公園、或いは近くに流れる野川の遊歩道を歩いて、
季節のうつろいを享受している。

本日は野川の遊歩道を上流に向かって歩き、小公園に立ち寄って、
欅(ケヤキ)は幼いあまたの葉を広げて、空に向かうように伸びはじめている。
               
こうした中で、クヌギ、コナラなどは芽吹きが始まり、
これから大きく育つからねぇ、見ていてねぇ、といったような風姿を見せてくれている。
               

このような心情を重ねた私は、世の中は新年度の始まる四月の初旬、
小学生の入学するピカピカの一年生、新たに中学、高校、大学を入学されたり、
或いは進級される方が数多い・・

そして企業に於いては、緊張感の中で新社会人となった人たちも多い。

こうしたことを思い馳せたりすると、齢ばかり重ねた私でも、
この清明の時節、心を新たにしてこれからの日々、と微笑みながら歩き廻っている。
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