私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
昨日の昼下がり、歯の治療の為に小田急線の『喜多見』駅の近くの歯科医院に予約していたので、
晴ときおり曇り空の中、私は出かけた。
そして自宅の近くに流れている野川の遊歩道を歩きだした・・。
そして川端の近くの路に、黄色い花の『菜の花』、薄紫の色した大根の花と思われる野花を見て、
私は遊歩道より川端の近くの路に下り立った。
この時節、この川端の近くの路に於いては、この黄色と薄紫色が、帯のように長い色合いを彩(いろど)っている。
私は幼年期に農家の児として育ったので、こうした野花に魅せられて、長らくみつめたりした。
この後、再び遊歩道を歩きだし、桜の樹の多い桜並木の中を足を進めた・・。
私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が4月の初旬に咲き始め、その後に山桜(ヤマザクラ)、
最後に4月下旬に八重桜(ヤエザクラ)が咲くのが、平年の慣(なわら)わしとなっている。
過ぎし3月22日過ぎには都心の多くは、染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が満開となり、
統計開始以来2番目の早さとなり、桜の名所でイベントを予定されている関係者は対応に大わらわになっている、
とニュースを視聴したりして、私は思わず微苦笑したりした。
私は天上の気候の神々の采配に戸惑いながら、ときおり空を見上げたりして、
どうしてなのょ、と心の中で呟(つぶや)いたりし、
染井吉野、そして山桜の桜花に愛惜を重ねながら、愛(めで)てきた・・。
4月3日には、突然に雨が激しく降り、風も強く吹き春の嵐のような日となり、
花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散り、
ときおり微風が吹くと、花びらが枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、
地上に落下する花衣(はなごろも)の風流な情景には、
無念ながら今年は夢の中で終わってしまった、このような思いを重ねてきた。
そして遊歩道を歩いていると、名残り花のように、残っている桜花を見上げたりした。
そして地上には桜花が錯乱し、今年も心まで彩ってくれた桜花に別れを告げた・・。
再び歩きだすと、ぽっかりと薄紅色の花にめぐり逢え、私は長らく眺めたりした。
平年より早く咲いた『八重桜(ヤエザクラ)』である。
もとより八重桜は、幼い葉と共に大きな花を咲かせて、かぐわしい芳香があり、
平安時代から歌題にも発露されてきた。
つたない私が新古今集の中に於いて、覚えているひとつに、
つらき哉うつろふまで八重桜
とへともいはで過ぐる心は
詠み人・惟明親王
このように数多くの歌人から、詠まれている八重桜である。
私は桜花に関して、女性の言葉、しぐさなど風情を思い浮かべると、
八重桜は10、20代の若き女性の溌剌(はつらつ)とした華やかさ、
染井吉野の桜は30代の女性の香りたつ美麗、
山桜は40代以上の女性は妖艶を秘めながら凛とした女性かしら、
と40代の頃から思いを秘めたりしてきている。
恥ずかしながら私なりのつたない感性であり、
それなりに醸(かも)し出す言葉、しぐさなどの芳香、品性は断片は出来ないが、
このように思い浮かべいる。
そして私は二十歳以来、何故かしら最も好きな桜は、山桜である。
このようことも思い重ねて見たりしていたが、
美しさの桜花の前で、せんなきことだ、と気付き、駅前まで遊歩道を歩きだした。font>
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昨日の昼下がり、歯の治療の為に小田急線の『喜多見』駅の近くの歯科医院に予約していたので、
晴ときおり曇り空の中、私は出かけた。
そして自宅の近くに流れている野川の遊歩道を歩きだした・・。
そして川端の近くの路に、黄色い花の『菜の花』、薄紫の色した大根の花と思われる野花を見て、
私は遊歩道より川端の近くの路に下り立った。
この時節、この川端の近くの路に於いては、この黄色と薄紫色が、帯のように長い色合いを彩(いろど)っている。
私は幼年期に農家の児として育ったので、こうした野花に魅せられて、長らくみつめたりした。
この後、再び遊歩道を歩きだし、桜の樹の多い桜並木の中を足を進めた・・。
私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が4月の初旬に咲き始め、その後に山桜(ヤマザクラ)、
最後に4月下旬に八重桜(ヤエザクラ)が咲くのが、平年の慣(なわら)わしとなっている。
過ぎし3月22日過ぎには都心の多くは、染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が満開となり、
統計開始以来2番目の早さとなり、桜の名所でイベントを予定されている関係者は対応に大わらわになっている、
とニュースを視聴したりして、私は思わず微苦笑したりした。
私は天上の気候の神々の采配に戸惑いながら、ときおり空を見上げたりして、
どうしてなのょ、と心の中で呟(つぶや)いたりし、
染井吉野、そして山桜の桜花に愛惜を重ねながら、愛(めで)てきた・・。
4月3日には、突然に雨が激しく降り、風も強く吹き春の嵐のような日となり、
花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散り、
ときおり微風が吹くと、花びらが枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、
地上に落下する花衣(はなごろも)の風流な情景には、
無念ながら今年は夢の中で終わってしまった、このような思いを重ねてきた。
そして遊歩道を歩いていると、名残り花のように、残っている桜花を見上げたりした。
そして地上には桜花が錯乱し、今年も心まで彩ってくれた桜花に別れを告げた・・。
再び歩きだすと、ぽっかりと薄紅色の花にめぐり逢え、私は長らく眺めたりした。
平年より早く咲いた『八重桜(ヤエザクラ)』である。
もとより八重桜は、幼い葉と共に大きな花を咲かせて、かぐわしい芳香があり、
平安時代から歌題にも発露されてきた。
つたない私が新古今集の中に於いて、覚えているひとつに、
つらき哉うつろふまで八重桜
とへともいはで過ぐる心は
詠み人・惟明親王
このように数多くの歌人から、詠まれている八重桜である。
私は桜花に関して、女性の言葉、しぐさなど風情を思い浮かべると、
八重桜は10、20代の若き女性の溌剌(はつらつ)とした華やかさ、
染井吉野の桜は30代の女性の香りたつ美麗、
山桜は40代以上の女性は妖艶を秘めながら凛とした女性かしら、
と40代の頃から思いを秘めたりしてきている。
恥ずかしながら私なりのつたない感性であり、
それなりに醸(かも)し出す言葉、しぐさなどの芳香、品性は断片は出来ないが、
このように思い浮かべいる。
そして私は二十歳以来、何故かしら最も好きな桜は、山桜である。
このようことも思い重ねて見たりしていたが、
美しさの桜花の前で、せんなきことだ、と気付き、駅前まで遊歩道を歩きだした。font>
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