夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

街にある本屋は文化のひとつと思い、アマゾンなどのネット購入を論外と思いながら・・。

2014-06-06 15:14:41 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
1960年(昭和35年に春に高校に入学した時に、
遅ればせながら突然に読書に目覚めて、年金生活の今でも読書が第一趣味となっている。

小説、随筆、ノンフェクション、近代史などの本、そして月刊総合雑誌などが圧倒的に多いが、
ときには映画、音楽の専門誌も買い求めたりすることもあり、つたないなりに乱読をしたりしている。

こうした本は、殆どが駅前の本屋とか街中の本屋で買い求めたり、
或いは古本屋で偶然に魅せられて購入してきた本である。

しかしながら私は民家、美術など3万円を超える豪華な本だけは、
やむえず図書館で年に一度ぐらい拝見するぐらいで、
通常の本に関しては、若き頃はたとえ一食抜いて、お金をためて購入し、読んだりしてきた・・。
          

こうして50数年ばかり過ごしているが、具体的に購入する時は、
新聞、総合月刊誌の出版社の広告を見たり、
本屋、古本屋の陳列棚で偶然に見かけたりして買い求めたりしている。

一番に困るのは、ある日、突然に魅せられた作品を読み、
この著作者の過去の作品を読みたい場合は、
ここ10数年、本の流通の速度が余りにも速く、駅前の本屋などの店内在庫は
皆無となっていることもある。

少なくとも25年の頃であったならば、
本屋で注文して、二週間過ぎた頃に手に入れる風潮であったりしたが、
ここ5年前の頃、アマゾンなどのネットで本を買い求める人たちがいると知り、
遅ればせながら或る作家を検索したら、驚いたりし、昨今は加速化して整備されている。

そして大半の刊行された本が羅列し表示されていて、
本屋の新刊本、旧刊本、そして古本屋でも中々見かけることの出来ない本もあり、
まぎれなくアマゾンなどのネット販売元は、本の集約センターかしら、
と思いながら、その作家の出荷できる本の一覧表を見ていたのである。

これだったならば、もとより本屋で取り寄せの注文で2週間も待たず、
或いは古本屋で探し求める必要はない、と感じたりした。
          
       
ここ10数年、世の中は通販商品は、ネットで購入する隆盛の時代となり、
こうした中で本も同様な形態となり、私は時代の流れかしら、と思いながら過ごしてきた・・。

しかしながら駅前とか商店街の本屋で、
偶然に見かけ購入してきた心の高揚感が失われることもあるので、
私はネット購入に、無力ながら抵抗している。

こうした根底ひとつとして、ネット購入が更に加速すれば、
街中の本屋が消え去り、街の文化のひとつが消滅する、と確信を深めたりしてきた。

私の住む地域の最寄駅ひとつでも、学園街で15年前に5店あった本屋も、
今や2店だけとなっている。

或いは旅先の5万人有する地方の街中に、本屋が見当たらず、
私は唖然とした体験をしたりした。
          

その上、ここ5年前の頃から、電子書籍が盛んな話題となっているが、
少なくとも文藝作品に関しては、本は手に取り活字を読み、
著作者に伝えたいことを受け止めながら、行間から著作者の思いを馳せ深める、
こうした習性が50年ばかりとなっているので、私には論外である。

このように時代遅れ私は、平素住む街にある本屋は文化のひとつと思い、
読書好きな私は閉店されるが怖くて、ときおり本屋に寄り、数冊ぐらい買い求めるが、
定年後の10年近く習慣病となっている。

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