夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログの世界、私が初めて知った時の頃の思いは・・。《初出2013.6.21》

2014-06-17 08:23:33 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した後、
私の半生は何かと劣等感があり、屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・、
と思いながら、年金生活をしている・・。

年金生活をしている中のひとつとして、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

そして原則として少なくとも国内旅行で不在、或いはパソコンが故障しない限り、毎日投稿してきている。
          
私が初めてブログの世界を知ったのは、定年後のまもない時であった。

我が家でインターネットを開設したのは、私が定年退職する数ヶ月前であった。
この当時の私は、数多くの同世代の人たちと同様に、多忙の現役サラリーマン時期であり、
自宅のパソコンでインターネットを施設したならば、
友人たちと電子メールの交流の時間に余裕もない思いがあり、
退職後からすればよいと思いがあったのである。
          

私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をして奮闘したが、あえなく挫折して、
やむなく企業に中途入社する為に、1年間ばかりコンピュータの専門学校で学び、
この当時に大手の音響・映像メーカーのある会社に何とか中途入社できたのは、1970(昭和45)年の春であった。

まもなくして、この会社の中の音楽事業本部のひとつ大手のレーベルが外資会社として新設され、
このレコード会社に私も異籍させられ、やがてコンビュータの専任者となった後、
この後は20年間殆ど情報部門の専門畑となり、
その後は他部門に異動したり、この間に幾たびリストラの烈風を受けたりし、
最後の5年間は取引先の物流情報センターに出向となったりした。
          
私としては1990年(平成2年)の初めの頃までは、
ある程度は専門畑のコンピュータの世界が解かっていたが、
その後は利用者側の間接部門となったので、
先端技術は解からず、ただパソコンを活用し、業務に従事していたぐらいであった。

このような体験があったが、いざ自宅でパソコンにインターネットを連動させた時、
Webの世界の環境には、驚きと出遅れたと感じたりした・・。
                    
そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いでを随筆風に綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。


私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、無知なりに社会、政治の分野まで発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
          
そして私は、2004年(平成16)年11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入し、
『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』とタイトルを掲げ、
『kaze-hikari』という発信名で投稿をはじめた。

私は初めてブログの世界に入り、【アメーバ・ブログ】に加入した時、
タイトル名は私なりのブログ・サイトで要(かなめ)をなすこと思え、深く思案した。

タイトル名の『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』に於いて、
~団塊世代のひとりとして~、と副題をしたのは、
私が中途入社した25歳の時、職場で机を並んだのは、新卒の人が多く、
彼らは団塊世代の人たちが多く、その後30年ぐらいは、
それぞれの時代の苦楽を共にした心情があった。

そして発信名を『極楽とんぼ』と命名したのは、私の幼年期からの深い想いでがあった。
          
私は昭和19(1944)年の秋、東京都の北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の農家の三男坊として生を受けた。
長兄、次兄の次に私は生まれたのであるが、
何かしら祖父と父などは、三番目の児は女の子を期待していたらしく、幼年の私でも感じたりしていた。
もとより農家は、跡継ぎとなる長兄、この当時は幼児は病死することもあるが、
万一の場合は次兄もいるので、私は勝手に期待されない児として、いじけたりすることがあった。

そして私の後にやがて妹がふたり生まれ、 祖父、父が初めての女の子に溺愛したしぐさを私は見たりすると、
私はますますいじけて、卑屈で可愛げのない言動をとることが多かった・・。

しかし祖父は不憫と思ったのが、自身の名前の一部を私の名前に命名した、
と後年に父の妹の叔母から、教えられたりした。
          

そして私が地元の小学校に入学する昭和26(1951)年の春の当時は、
祖父、父が中心となって、小作人の人たちの手助けを借りて、 程ほど広い田畑、
そして田んぼの中のひとつには湧き水があったり、小さな川も流れ、
母屋の周辺は竹林、雑木林が周辺にあった。

そしてこの当時の周辺は、田畑、雑木林が圧倒的に多く、竹林もある緑豊かな町村であった。

そして私は小学校に通学したが、いじけた可愛げのない子の上、無口であり、
長兄、そして次兄2人は、学校の成績が良く、私は通信簿を頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、
と担任の女の先生がため息まじりに言われたりしていた。

やがて私が小学2年の三学期に、父が病死した後、
まもなく3年の一学期に祖父が亡くなり、大黒柱のふたりが亡くなったので、
父の妹の未婚のふたり、そして私の母と私たち兄妹の5人が残され、
農家の肝要の技量、労力を失くした生家は衰退し、生活に余裕のない貧乏な生活となった。
               
こうした中で私は通学していた時、音楽の授業は、先生がオルガンを弾いて、
生徒の私たち全員が『春の小川』、『夕やけこやけ』等を唄っていた・・。

学期末の頃に、ひとりの生徒が教室の1番前にある黒板の近くで、
先生のオルガンの伴奏に合わせて、唄うことが定例であった。

私はこの当時は人前で他愛ないおしゃべりをすることが苦手であったので、
私の順番になると、ドキドキし、出来たら逃げ出したかった。

結果として、この当時の通信簿は5段階であり、私は《劣る》意味合いの『2』であった。

私が下校で独りぼっちで歩いて帰る時、或いは家の独り留守番をしている時は、

♪笛にうかれて 逆立ちすれば
 山が見えます ふるさとの
 わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし

【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十、作曲・万城目 正、 唄・美空ひばり  】

私は何となくこの歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。
         
そして、私が気分が良い時は、
私は街の子、田舎の子・・、
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。

このように、この『越後獅子の唄』の名曲の悲しげな歌の裏返しの思考、
そして小説家・山口 瞳(やまぐち・ひとみ)・著の『還暦老人極楽蜻蛉』(新潮社)から無断拝借し、
定年退職後の自由自在でブログの世界で綴ってみたい、秘かな思いであった・・。
          

そして私は【アメーバ・ブログ】に投稿を初め、
私が初めてブログで、【アメーバ・ブログ】に加入し、投稿したのは2004(平成16)年11月12日であった。

そしてブログの初めての投稿文は、今回恥ずかしながら、あえて掲載する。
《 はじめまして 》と題して、
【 ブログの世界は、初めて書き出します。
  まったくのヨチヨチ歩きですので、よろしくご指導をお願いいたします。】
このような加入の挨拶を投稿した後、
《 Webは若葉マーク【その一】 》と題して、30分後に投稿している。
【 インターネットの環境が整ってから、数ヶ月過ぎました。
  この間、色々な未体験の連続で涙と笑いの連続でした。
   パソコンは個人的に10数年。
  職歴の一部として、コンピュータの専任者として、1971年~1990年経験していましたが、
  Webの世界は未知でした。】

このように幼い文体で綴っていた。

まもなくコメントを頂き、私なりに喜びであり、コメントをして頂いたお方の日記に、
私も盛んにコメントを書き込みをしたりした。

ただ、【アメーバ・ブログ】の日記投稿欄の書き込み、送信にたびたびエラーなどが発生し、
初心者として技量もなく、何度も書き直し投稿をしたりした。

その上、各部門による賞金制度が設置されていたので、困惑し、私は他ブログ・サイトを探した。

そしてブログに準じた【goo簡単ホームページ】など4つばかりブログ・サイトに加入した。
こうした中のひとつの大手のブログ・サイトの【gooブログ】が残り、現在に至っている。
          
この間、2005〈平成17〉年の頃、ブログに準じた【すくすくブログ】に於いて、
『極楽とんぼの奮闘記』とタイトルを掲げ、
『yumide』の発信名で、極楽とんぼシリーズを移管後してまもない時であった。

この当時、人気の漫才コンビに『極楽とんぼ』の存在を知り、
1部のお方から誤解されたり、
その後、この人気コンビのひとりが女性に不祥事を起こしたりした・・。

私は『極楽とんぼ』の命名の由来を明示した通り、
何かしら60数年の心の純潔を汚されたような思いとなり、
その後は【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】とタイトル名を変更したり、
発信名も『夢逢人〈ゆめあいびと〉』に改称した。

そして半年前の頃に、いつまでも年金青年におかしいと思い、
【夢逢人かりそめ草紙】とタイトル名を改称したりした。
              

尚、プログに関して、2008(平成20)年の頃に総務省の公表された『ブログの実態に関する調査研究の結果』の中で、
ブログ開設動機による分類に於いて、
   ①『自己表現』、②『コミュニティ』、③『社会貢献』、④『収益目的』、⑤『アーカイブ型』
と分類されていた。

私は『自己表現』の心の思いの発露であり、ときおり『コミュニティ』である、
と思いながら、ブログ投稿を始めて8年が過ぎて、日々投稿し、
そして数多くの方の投稿文を読ませて頂き、多々教示されている。

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