夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

“お嬢さまブランド”だった短大女学生の崩壊、高齢者の私は学び、過ぎ去り時代に愛惜感を深めて・・。

2017-07-29 15:52:01 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【日刊ゲンダイDIGITAL】を見ている中で、
『青短の募集停止で加速する大学”お嬢さまブランド”の崩壊』と見出しを見てしまった・・。

そして掲載されている溌剌とした華やかな若き女学生の写真も、見惚れてしまった後、
記事を精読してしまった。

            

短大生は消えてしまうのか(C)日刊ゲンダイ

 
この記事は【日刊ゲンダイDIGITAL】に7月29日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
り制度゛くしてしまった。

《・・高嶺の花だったなんてオトーサンも多いんじゃないか。
青山学院女子短期大学(東京都渋谷区)が、来春の入学生を最後に2019年度以降の学生募集を停止する。

「青短」といえば、女子短大のブランド校。
現代教養学科と子ども学科があり、偏差値50~54は短大ではトップクラスだ。

1950年に女子短大になってから、定員割れは一度もなかったという。
それなのに、なぜ?

大学通信ゼネラルマネジャーの安田賢治氏が、こう言う。
「女性の高学歴化が顕著になったのも大きいでしょうね。
短大では保育士の育成や家政学、語学系の学部が多いですが、
それよりも法学部、経済学部、理工系学部など、どんな企業でもキャリアが積める学部を目指す傾向があります」

2001年には、学習院女子短大が廃止。
2007年には明治大短大、成城大短大が廃止に。
近年の「共学」人気に加え、“お嬢様ブランド”が通用しなくなってきたようだ。

            

「メガバンクや商社の一般職といえば、昔は、ブランド力のある名門短大出身者がたくさんいました。
それが女子大優位の時代になり、最近は、偏差値の高い有名大出身者が一般職を目指して大量に入社。

企業にとっても4大卒が“普通”になっています。
就職先の幅を広げる意味でも、同じ偏差値50くらいなら、名門女子短大より、
知名度は劣っても、4大卒を選ぶという女子学生が増えているように思います」(安田賢治氏)

学習院女子短大は、学生募集停止後、学習院女子大に移行。
明治、成城短大は廃止後、学部はそのまま4大に引き継がれた。
青短も同じ道をたどることになる。

「まさに2018年問題が目に見えてきました」と、安田賢治氏がこう続ける。
「今年5月に、政府の有識者会議が『東京23区内の大学の定員増を認めない』という旨の中間報告案を発表した。

学部・学科の新増設も総定員の枠内の範囲で、やりくりしなければならない。
今後、学生は確実に減っていきます。

それでも大学は、学部を新設するなどして、生き残っていかなければならない。
当然、短大より長く“滞在”してくれる4年制の方がいい。
青短のようにブランド力がある伝統校でも、存続は難しいでしょう」

国立社会保障・人口問題研究所によると、120万人前後の18歳人口は、
2018年に117万人、2024年に110万人を切り、下降し続ける。
母校が消えていく中高年にとっては寂しい限りか。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

          
 
私は1963年(昭和38年)3月に都心にある高校を卒業した後、4月にある私立大学(4年制)に入学したが、
確かこの当時は、男子でも大学(4年制)に入学する方は、半数以下と記憶している。
女子の殆どは、高校を卒業した後、就職される時代であった。

そして女子の一部には、短期大学(二年制)に進学されて、やがて卒業して、
民間会社などに就職されて、こうした中で婚約され、寿退職をされる御方が多かったと、思い馳せたりした。

或いは大学(4年制)に入学する御方もいたが、この当時は、稀なケースであった。

こうした時代の風潮として、短期大学に通われる人は、確かに“お嬢さまブランド”であった。

私が後年、1970年(昭和45年)4月、ある民間会社に中途入社した当時、
青山学院女子短期大学を卒業された御方が職場を共にしたし、
或いは私の実家のほど近い処に成城大学があり、数多くの華やかな短大生を眺めながら、
しぐさ、言葉に圧倒されながら、好感していたことは事実であった。

やがて1985年(昭和60年)頃になると、女子は短期大学(二年制)から、
大学(4年制)に入学する傾向となった・・このように私は思い浮かべたりした。
 
今回の記事を読み終わった後、日本が総中流社会だった中、
少し贅沢で香(かぐわ)しく華やかな短大生がいた時代に、

過ぎ去ってしまった時代に愛惜感を深めたりした。

                    

余談であるが、私は小学生の頃は、誤解していた時もあった。
 
私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けた。

やがて1951年〈昭和26年〉4月、私は地元の小学校に入学し、
児童の私としては、15分ばかりを歩いて最寄駅の『つつじヶ丘駅』に近い小学校に通ったりしていた。
              
こうした中で、確か小学2年の晩秋だったと記憶しているが、
いつものように独りで小学校に向かい歩いていた時、
遠い親戚のお姉さんに偶然に逢い、駅前まで一緒に行くことになった。

お姉さんは、スカーフを首に巻きつけて、ワンピース、そしてハイヒールを履いて、
子供心に、かっこいいお姉さん・・、と私は感じたりした。

こうした中で、『お姉さん・・XX短期大学に行っているのょ・・』
と遠い親戚のお姉さんは、私に言った。

『ほんとぉ・・』
と私は答えた。

やがて駅前でお姉さんと別れ、小学校の校門に向かった時、
『やさしそうなお姉さん・・短気な人ばかり集めた大学に行くなんて・・お姉さん・・短気の人と思えないが・・
だけど・・女の人って・・分からないょなあ・・』と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

こうした短大生に誤解していたささやかな思いでを私は秘めている。
 
 
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする