夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

感染は抑え、活性化ある社会をめざす風潮の中、老ボーイの私は、とりとめなく過ごすことが多く・・。

2020-06-26 11:08:36 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、私は健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活16年半を過ごしてきた。

          
     ☆今回、掲載した写真のすべては、昨日の散策の時に撮った情景である☆


私は民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、

長年サラリーマン生活を過ごす中、障害レースのように幾たびかリストラに遭遇して、
何とか乗り越え定年退職を迎えことが出来るまで、何かと卑屈と劣等感を秘めながら、悪戦苦闘が多かったりした。

そして何かと気弱な癖に、ときには自己顕示欲が強く、やがて反省しながら自己嫌悪となったりし、
つたないサラリーマンの人生航路を過ごしたりした・・。

やがて定年後、多々の理由で年金生活を始めた・・。

私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物メール老ボーイとなっている。

こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

          

午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この間、私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

          

そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。

こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。

こうして年金生活を過ごしたりし、ときおり小庭の手入れをしたり、
家内と共通趣味のひとつである国内旅行を遊学している。

このように年金生活を過ごして、早や16年半が過ぎているが、
定年するまでの悪戦苦闘が多かった半生を思い馳せれば、
定年後の年金生活は安楽な歳月を享受してきた。

          



しかしながら、今年の
2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてるが、
いつになったら終息なるの、と思いながらマスクをして、人出の少ない処を選定して、
独りぼっちで散策している。

                         

こうした中で、私はマスクが苦手で、2月の中旬まで、これまでマスクをしたことはなかったが、
生まれて初めて極く一般の白いマスクを付けて、歩いたりしてきた。     

しかしながら、この後の3月になると、ドラッグストア、スーパー、コンビニなどで、
私たち夫婦のマスクを買い求めようとしたが、母を訪ねて三千里のように探し求めてきたが、
わずか6つばかり何とか入手できたが、マスク迷子の悲惨な時を過ごしたりした・・。
        
やがて4月23日、あるドラックストアーに寄った時、
たまたまマスクの入荷にめぐり逢えて、久々に買い求めることが出来たりした。
        

          
                 

昨今、『緊急事態宣言』が解除されて、何かしら重苦しい日常から解放されて、
安堵しながら微笑んだりしている・・。

そして世の中は、自粛から自衛の風潮に変貌し、無力な私でも大切な社会経済の復興を願っているが、
新型コロナウイルスが沈静化するまで、自分の身は自分で守りながら、
程々に自粛生活の延長戦する、と微笑んだりした。
 

しかしながら私の心の片隅では、覇気がなく、とりとめなく過ごすことが多くなっている。

          

たとえば昨日などは、午前中は小雨が降り、ぼんやりとブログの投稿文などを綴った後、
雨あがりの昼前に、いつものように自宅の周辺を歩いたりした・・。

新型コロナウイルスが報じられる2月以前には、
路線バスを活用して、都立の神代植物園を幾たびも訪ねてきた。

そして2月からは、我が家より往復8キロばかり歩き、
園内で3時間ぐらい歩き廻り、うつろう情景を取ったりしてきたが、
やがて無念ながら右脚の膝(ひざ)を痛め、昨今は整形外科に通院している。

          

或いは2月より、路線バス、電車も避け、
家内の病院の通院日の時だけは、ボデイガード兼お供で乗車してきたが、
これ以外は我が家の3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き廻ったりしている。

雨上がりの野川の両岸にある遊歩道、付近の住宅街、やがて小公園を廻り、
やがて帰宅後、読書をしたりした・・。

たまたま読んでいる本は、
三日前に本屋で偶然に見た石原慎太郎さん、曽野綾子さんの対談集『死という最後の未来』(幻冬社)、
そして沢木耕太郎さん著作の『旅のつばくろ』(新潮社)を購読している。

いずれも敬愛している三氏であり、表示された一行でも、読み返すように読んでいる。

          

私は新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が、
各地で解除され、早やで1カ月経ち、コロナと共存する生活は始まり、
感染は極力抑え、活気ある社会をめざす今日、このように私は、とりとめなく過ごすことが多くなっている。

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