♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

東区:木原松桂翁之墓

2022年03月17日 08時33分20秒 | 雑関連
東区山根町の聖光寺境内に建立されている「木原松桂翁之墓」です。

聖光寺のweb siteなどを参照すると木原松桂については、
『木原松桂翁は、安永5年(現・東広島市高屋町)杵原西本に生まれるが、幼時に母親と生別し母を慕う気持ちは募るばかりであった。広島に出て医を業としながら、四国までも母を捜索するが見つからない。
47 歳の時、夢に出てきた母の言葉の「よなご」を思いだし、伯耆国弓ケ浜に尋ねる。遂に思いは通じそこで母の墓を発見する。その孝義篤行は藩の表彰するところとなる。
吉田松陰(1830-1859)はこのことに感激して松桂翁の書をもらい受け、松下村塾の壁に掲げ、常に自分の修養と塾生の訓育の拠所としたのである。』
☆書とは、木原松桂翁筆「三餘読書七生滅賊」。


(裏面に刻まれた文字は無いようです)


聖光寺のweb siteを見ると、ここで取り上げた「木原松桂翁之墓」の紹介もあったのです。
「高間壮士之碑」を撮影しようと計画していたので、広い墓苑ですが、探すことができれば「木原松桂翁之墓」も撮影しようと思っていました。
(裕編集の)木原松桂翁之墓

3月17日(安芸区のわが家付近)鶯の初鳴き
天候:くもり

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東区:大石内蔵助父子供養墓

2022年03月16日 10時01分14秒 | 各種記念碑等
東区山根町の聖光寺に建立されている「大石内蔵助父子・供養墓」です。
※現在は、墓苑内から移設整備され説明板が設置されています。

設置の説明板には、
『討ち入りの後、赤穂浪士の中で唯一生き残った寺坂吉右衛門が広島を訪れ、討ち入り成功を広島藩に報告したといわれています。
この際、持ち帰った大石内蔵助親子の遺髪を浅野家の菩提寺・国泰寺に葬って欲しいと申し出ましたが、彼等が罪人であるため、瑞川寺(いまの聖光寺)に葬られることになりました。』


2006年交流ウォーク時に墓苑の中にこの大石親子の供養墓が建立されていることを教わりました。
2009年交流ウォークで訪ねたとき山門を入ってすぐの所に移設されていました。
ことし久しぶりに撮影しましたので、編集頁を更新しました。
(裕編集の)大石内蔵助父子供養墓(移設後)

3月16日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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東区:高間壮士之碑

2022年03月15日 09時31分57秒 | 各種記念碑等
東区山根町の聖光寺境内に建立されている「高間壮士之碑」です。
※明治3年春建立。撰文は、阪谷朗廬(さかたに ろうろ:1822-1881)。
※「高間壮士之碑」の前に“高間省三正忠之墓”の石柱が建てられています。

明治元年春・・・で始まるこの石碑、
聖光寺のweb siteにこの碑文の要約が紹介されていますので参照しました。
『高間省三は、この日〔慶応4年8月1日〕に、大砲隊の部下らと盃を交わし、拳を闘わせて連勝したあと、能を優雅に舞いながら、「かならず敵の大砲三、四門は奪ってみせる」と謡いおわるや否や、大声一下、突撃を命じた。燃えさかる高瀬川の橋をみずから先頭に立って突破し、敵砲台ひとつを奪った(敵陣一番乗り)。そして次の砲台へと躍り込んだ。その刹那、顔面に敵弾を受けた。』


(向側に本堂屋根がみえます)

広島護国神社のweb siteを見ているとき、ここで取り上げた高間省三さんが筆頭祭神だったことを知ったのです。
高間省三をNET検索するとWikipediaに、ここ聖光寺に慰霊碑である「高間壮士之碑」が建立されていることが分かったので、ことし訪ねて撮影したのです。
(裕編集の)高間壮士之碑

3月15日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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廿日市市:塔之岡隧道

2022年03月14日 09時46分16秒 | 建物等
廿日市市宮島町大町に造られている「塔之岡隧道」です。
1967年に塔之岡の下に造られた隧道で、長さは 21mだそうです。

2008年撮影して頁を編集した当時はなかった標識。
2021年撮影した上画像、隧道入口右側に「津波に注意・海抜3.7m」の標識が設置されていました。
(裕編集の)塔之岡隧道

3月11日東日本大震災があった前後にラジオやTVで報道番組をきいたりみていました。
もう昔々になりましたが東北に通算10年ほど住みましたが、
〔海に近い当時・原ノ町市(現・南相馬市)で一家で正月を2回迎え、市議会議員選挙も投票したというのに〕
〔独身時代、仙台市では蒲生下水処理場の現場にひと月ほどでしたが応援で行っていましたが〕
はじめて聞いた言葉があったので取り上げたのです。
「津波てんでんこ」
深夜目が覚め眠れない時にラジオ深夜便でやっていた和歌山局アナウンサーが朗読していた中でのことでした。

南海トラフでの大地震で起こるであろう津波が瀬戸内海沿岸にも被害が及ぶと
広島県危機管理課編「南海トラフ巨大地震等による広島県地震被害想定結果について」をみると
‘宮島がある廿日市市’や‘太田川デルタの広島市’では最大3.6mの津波が襲うようです。
震源地がどこかにもよるようですが、こちらでは地震が発生して直後に津波が襲うことないようなので
「津波てんでんこ」ではなく「みんなに声をかけてみんなで避難しましょう」なのでしょうが。
余計なことでしょうが、
GO TO再開で東北など太平洋沿岸に旅された時には忘れてはならない言葉かなと思ったので取り上げました。

3月14日(安芸区のわが家付近)天候:(雨上がりの)くもり

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番外:梅は咲いたがモクレンはまだかいね

2022年03月13日 10時52分49秒 | いまだ初心園芸
山野辺のわが家、みなさんの梅の開花の記事を指をくわえて拝見するだけでしたが、
やっと鉢で育てている白梅が咲き出しました。
昨日はぬくかったからでしょう、今朝見ると6~7輪咲いていました。

鉢で育てているモクレンは、まだまだ蕾は固いようです。


3月13日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:わが家にも春

2022年03月12日 09時24分23秒 | いまだ初心園芸
山野辺のわが家にもやっと春のぬくさが。

冬場の玄関を飾ってくれていた植物たち。
食べごろになったか、野鳥に食べられたピラカンサたちを以前の位置に戻し、
パンジーとデージーを置きました。

親父だけの仏壇だった時に、洋花は仏壇に飾らないように嫁に云っていたようでしたが、
いまは、妻も供養しなくてはならなくなったわが家の仏壇。
妻に、昨年は冬越しを失敗して飾ることができなかったわが家のシンビジウム(メロディーフェアー)を早々に切り花にしてみてもらうことにしたのです。

ことしは次々に咲いている多くのシンビジウム(レモンアイス)もみてもらうようにしたいと思っていますが。

3月12日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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南区:段原再開発事業東部地区完成記念碑

2022年03月11日 09時40分42秒 | 各種記念碑等
南区段原山崎の段原山崎第2公園内に建立されている「段原再開発事業東部地区完成記念碑」です。
※2014(平成26)年3月建立。


2008年段原第5公園で「段原再開発事業西部地区完成記念碑」を撮影して頁を編集していました。
当時は、まだ東部の方は再開発中でしたが、西部に対する東部も記念碑が建立されるのだろうとは思っていましたが、その後はすっかり忘れていました。

2021年ここ段原山崎第二公園を訪ねたときに東部地区の記念碑だったので撮影したのです。
(裕編集の)段原再開発事業東部地区完成記念碑

3月11日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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南区:(被爆建物)段原中学校旧東校舎・説明板

2022年03月10日 09時34分13秒 | 被爆建造物等
南区段原の段原山崎第2公園内に建立されている「段原中学校旧東校舎・説明板」です。

『 段原中学校の旧東校舎1階部分は、1932年3月に広島市第一高等小学校の校舎としてこの地に建設され、当時としては数少ない鉄筋コンクリート造の校舎でした。
1941年4月に広島市第一国民学校と改称し、
1945年8月6日原爆投下時には爆風による窓枠や窓ガラスの破壊はあるものの倒壊を免れ、被災者の臨時救護所になりました。
臨時救護所の解散後、1949年4月広島市立段原中学校と改称し、
旧東校舎は、三度の増築により2階建てとなりました。以降、教育活動を支える学びの場として使用されました。・・』


見ると原爆被災説明板とこの地にあった(解体時・段原中学校)被爆時・第一国民学校の説明板が設置され、後側には被爆した東校舎の一部が切り取られ設置展示されていました。
(裕編集の)(被爆建物)段原中学校旧東校舎・説明板

2008年に撮影して編集した
(被爆建物)段原中学校旧東校舎

3月10日(安芸区のわが家付近)天候:はれ


朝っぱらから台所で、
カメムシを怒らせたか?つぶしたのか?
姿は見えず、あの強烈なにおいがしたのです。
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南区:(広島市立)第一国民学校・原爆被災説明板-移設後-

2022年03月09日 10時05分18秒 | 原爆慰霊碑等
南区段原山崎の段原山崎第二公園に移設された「第一国民学校・原爆被災説明板」です。
※もともと南区段原山崎町の段原中学正門横に建立されていました。
※2011年段原中が(段原再開発事業で)南区霞に移転しましたので、移転先に建立されたそうです。
※しかし、2014年(現場に近いという事で)南区段原山崎の段原山崎第二公園に移設されました。

爆心地から約2,640m

『原爆で北側木造校舎は倒壊。そのほかの校舎や講堂などは窓枠や窓ガラスが破壊されたものの、倒壊は免れました。
被爆後、東校舎と講堂は臨時救護所となり、その年の10月上旬まで多数の被災者を収容しました。』

2014年訪ねたときには、この原爆被災説明板を移設建立する工事中でした。
時はずいぶん過ぎましたが2021年訪ね撮影したので移設後の頁を編集しました。
(裕編集の)(広島市立)第一国民学校・原爆被災説明板-移設後-

3月9日(安芸区のわが家付近)天候:はれ


昨日12:30三回目のコロナワクチン接種。
夜中トイレに行くとき接種左腕が痛かった。
今も少しばかり痛いが、1回目・2回目に比べれば軽い副反応です。
*いずれもファイザーのワクチンでした。
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南区:段原山崎第二公園

2022年03月08日 09時49分21秒 | 公園・緑地等
南区段原山崎に設置されている「段原山崎第2公園」です。
※広島市の資料によると2013年開設、面積2,000㎡(100㎡未満を四捨五入)だそうです。

広島市の段原東部地区土地区画整理事業の資料を見れば、生活環境施設整備の一つとして子供の遊び場4か所が整備されているようで、この段原山崎第2公園もその一つでしょう。

公衆トイレ+水飲み場。フェンス向側:遊具など広場部分


段原中学校が段原再開発事業で移転したので、第一国民学校原爆慰霊碑も移設されているだろうと2014年訪ねたのです。
その時、教頭先生に、「第一国民学校・原爆被災説明板」は段原公民館の前の公園に移設されるためにここには無いと教わり、公民館までの地図もいただいたので、その公園(当時公園名称がわからなかったがここで取り上げた段原山崎第二公園でした)へ行ってみたのです。
時は随分経ちましたが2021年再び訪ねたのです。

(裕編集の)段原山崎第二公園

3月8日(安芸区のわが家付近)天候:はれ


12:30かかりつけ医院で、第三回目ワクチンを接種してもらいました。
15分様子を見て、医院を出てスーパーで買い物をして帰宅。13:57追記
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東区:大神社

2022年03月07日 09時22分28秒 | 神社寺院等
東区二葉の里に鎮座している「大神社(だい じんじゃ)」です。
※1945年8月6日原爆により焼失し、再建準備中で、仮の本殿が再建されています。
※広島県神社誌によると
祭神:大穴牟遅神(おおなむらのかみ)
相殿神:天照大御神、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)

1648年二代藩主浅野光晟が当地へ広島東照宮を造営したことから、当社はその相殿へ祀られました。
1869年東照宮から分社し東照宮境内地の西端を分けて境内としました。
1945年8月6日原爆により社殿総て焼失しました。現在再建準備中です。
被爆77年のことし兄と参拝しようとやってきてみて、やっと再建が行われるように思いました。

広島県神社誌で再建中と知ってから随分経ちましたが、今(2022)年コロナ禍の中でしたが、兄と訪ねてみたのです。
〔NET検索で2人の方がこの大神社の頁を編集されておられましたが、雑草をかき分け本殿前で参拝ということでしたので随分景色が変わっている結果になりました。〕
本殿下の広場を駐車場にして安定収入を得て、社殿再建になっていくのかなと兄と話しましたが。

(裕編集の)大神社

3月7日(安芸区のわが家付近)天候くもり

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番外:わが家のシンビジウム咲きだす

2022年03月06日 10時51分05秒 | いまだ初心園芸
この冬は、温室に入れた鉢たちと夜間玄関内に取り込んだ鉢たちの2つの方法を選びました。
1)温室内のシンビジウムは、アブラムシの被害にも遭いながら先に咲きだしていました。

2)夜間玄関内に取り込んでいる鉢たちも3月になり温かさを感じたようで咲きだしました。

夜間相当冷え込んでいたであろう玄関内では、アブラムシに花芽を食べられることもなく咲きだしましたので撮影しました。

(わが家の)シンビジウム

3月6日(安芸区のわが家付近)天候:はれ(風強し)

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番外:拝啓プーチン様

2022年03月05日 09時12分48秒 | 各種記念碑等
貴殿よりも年寄りというものの何の接点もないわたしですが、
是非聞いてもらいたい歌があるのです。
広島市民の多くもそう思っているでしょうから。
優秀な通訳がおられるでしょうからロシア語に訳してもらってください。

2018年8月26日撮影
歌手:美空ひばり(1937-1989)、作詞:松山善三(1925-2016)
















の鉛






































































































































































































































ウクライナでの戦争を早期に終わらせるためなどなど(理屈を)云っても、
核兵器を使用してはいけません。   敬具

3月5日啓蟄
(安芸区のわが家付近)天候:黄砂?もやっています(くもり)


一本の鉛筆/美空ひばり
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廿日市市:(厳島神社・末社)粟島神社

2022年03月04日 09時28分14秒 | 神社寺院等
廿日市市宮島町滝町に鎮座している「粟島神社」です。
祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)。

明治以前は東泉坊の境内にあったそうです。

本殿+幣殿+拝殿


2007年撮影して頁を編集していました。
2021年久しぶりに参拝し撮影しましたので、更新しました。
(裕編集の)(宮島)粟島神社

3月4日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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廿日市市:(宮島まちづくり交流センター前)オオミゴケ

2022年03月03日 09時55分17秒 | 雑関連
廿日市市宮島町の“宮島まちづくり交流センター前の木に着生している「オオミゴケ」です。
*着生しているのは、旧宮島町役場跡地ですので旧町木だったモミジの木だと思うのですが?

植物名:オオミゴケ 苔は大変貴重です。
手で触らないようお願いします。〔英語、ハングル、中国語でもかいてあります〕
誰が貼りだしたのか記述はなかったのですが、廿日市市だと思って撮影しました。


コケについても疎いのでNET検索でヒットした京都府環境部自然環境保全課の資料を参照して頁を編集しました。
(裕編集の)(宮島まちづくり交流センター前)オオミゴケ

3月3日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
洗濯日和

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