十八世紀後半の江戸時代、円山応挙とともに京を代表する画家だった伊藤若冲の「若冲」とは、変わった名である。
彼の墓はふたつある。伏見深草の石峰寺には土葬された墓、もうひとつは御所のすぐ北の相国寺墓地内。後者は寿蔵・生前墓であるが、墓表の字はともにまったく同じ。相国寺の大典和尚が記したもので、「斗米菴若沖居士墓」と彫られている。若「冲」はニスイのはずなのに、墓はサンズイ。冲が沖とは、これいかに?
石峰寺住職のご母堂・阪田育子さんから聞いた話しだが、若冲の墓前に立ち止まった若い女性観光客たちが「ワカオキさんて、だれ?」。確かに、サンズイの墓表・若沖では、そう読まれても仕方がない。
若冲の名には、謎が多い。これから三回か四回か、あるいは五回ほどの連載で、彼の名を考えてみようと思う。ただこれまでの様なのんびりした掲載スピードでは、年も越してしまいそうである。しかしどうせ長引くのなら、例によって寄り道話しを交えながら、ゆっくり歩むのも酔狂とお許し願いたい。
「若冲」の字は、中国古典『老子』による。『老子』第四十五章には、
「大成若缺。其用不弊。大盈若冲。其用不窮。大直若屈。大巧若拙……。」
以下、福永光司先生の朝日文庫・中国古典選『老子』に依る。
大成は欠けたるが若(ごと)く、其の用弊(やぶ)れず。大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若く、其の用窮(きわ)まらず。大直(たいちょく)は屈するが若く、大巧(たいこう)は拙(せつ)なるが若し。
本当に完成しているものは、どこか欠けているように見えるが、いくら使ってもくたびれがこない。本当に満ち充実しているものは、一見、無内容(からっぽ)に見えるが、いくら使っても無限の効用をもつ。真の意味で真っ直(す)ぐなものは、かえって曲がりくねって見え、本当の上手はかえって下手くそに見える。
冲字は、沖(ちゅう)の俗字であるが、沖は「盅」字の借字である。読みは同じくチュウ。
サンズイの沖はチュウだが、オキと読み、海のオキとするのは日本の勝手である。本来の中国には、海の意味もオキの読みもない。
冲も沖とも同音で同意字であるが、意味は、むなしい、からっぽ、なにもない、ふかい、ふかくひろいなど。水のサンズイが付く中を、深く広い沖・オキと読ませた最初の日本人がだれかは知らないが、彼の着想は当を得ている。字意を心得ての当て字である。海のオキは、この国の古語であろう。沖は奥(おく)と同じで、万葉の時代、「奥」は「おき」とも発音された。遠い場所をいうそうだ。
海原のおき(意吉)ゆく舟を帰れとか 領巾(ひれ)振らしけむ
松浦佐用比売(まつらさよひめ) 『万葉集』八七四
話しがまた横道にそれてしまったが、老子の「大巧若拙」についてひとこと。鈴木大拙先生の名は、ここから採っておられる。若拙ではなく大拙とされたのだが、若冲も大冲でなかったのが面白い。ところで、大拙先生は名親である老子の子、義名兄弟に当たる若冲のことをご存知であったかどうか、少し気になる。
<2007年12月8日 南浦邦仁>