ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

ヒガンバナ

2009-09-13 | Weblog
 ヒガンバナが咲き出しました。ちょうど一年前、京都新聞「現代のことば」欄に、彼岸花のことを書いたことがあります。あれから一年、彼ら曼珠沙華たちは、葉を枯らし、じっと地中で秋をひたすら待っていた。何ともいじらしい。横着な転載・再録です。

 秋の彼岸が近づいてきました。この時節を待ちこがれていたかのように突然、地上に茎が伸び、真紅の花を咲かせるヒガンバナ。田畑のあぜ道で、黄金に色づく稲や、緑の草の間に、花火のように開く朱色の花はあざやかです。
 彼岸花とも曼珠沙華とも書きよびますが、この花を好まぬかたは多いようです。だいたい別名が悪い。シビトバナ、ジゴクバナ、ユウレイバナ……。死人や地獄幽霊の字が当てられます。
 この草は、球根状の地下茎に猛毒を含んでいます。地中に穴を掘るモグラやネズミ、ケラなども、ヒガンバナを嫌う。そのために田のあぜや、土手や墓地などに植えたそうです。
 しかし、とことん毒を抜けば、食べることができます。飢饉のときには救荒食物として、最後の頼みのひとつにされました。ただ素人の安直な毒抜きは危険です。ふだん、絶対に食してはいけない植物です。
 この草花には、墓地、猛毒、死そして飢饉などといった、古くからよからぬイメージがつきまとっています。かわいそうな植物です。
 ただ愉快なのは、ヒガンバナが、ほかの草花とはまったく逆の一年を過ごすこと。秋に地中から長い茎を伸ばして花を咲かせ、花後に葉を出す。ほかの草花が弱り枯れる秋から冬、ヒガンバナはやっと日光をあびます。そして翌年の春過ぎに葉は枯れてしまい、地上には何の痕跡もなくなってしまう。地上が新緑青葉の季節から秋彼岸のころまで、地中に閉じこもってしまいます。ヒガンバナの生き方は、何ともユニークです。
 わたしの職場近く、大通りの街路樹の下にも何本かのヒガンバナが、いま彼岸を前に地中で待機しています[ 註:今年は昨年より早く、同じ場所で咲き出しました。文章を書いたのは昨年9月10日ころ。掲載は9月17日夕刊 ]。川端通り沿いの鴨川べりにもこの草花は、ずいぶん増えました。一般植物とは違う生き方をするこの草を、近ごろでは好むひとが多くなったのでしょうか。京の町なかにもっと植えてもいい花のひとつだと、わたしは思います。好き嫌いはそれぞれの自由ですが、迷信や偏見で草花をみてはいけないと、この花をかばいたくなります。ただ毒はあります。だがきれいなバラにも、トゲがあります。
 本で知りましたが、ヒガンバナの日本列島への渡来は、弥生時代だろうとのこと。稲作を大陸半島から伝えたひとたちが、同時にこの草花をもたらしたという記述です。
 彼らが華麗な花を愛したからでしょうか。地中にトンネルを掘る小動物を防ぐため、あるいは非常時に備えるため? それとも土に混じって偶然に渡来した? 球根もどきは薬にもなる。毒と薬は、紙一重ともいいます。
 二千数百年の間、ヒガンバナは日本人とともに暮らしてきた仲間です。読書の秋、本を手に、草花と人間の歴史に思いを馳せるのも楽しい。
<2009年9月13日>
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