『京都府紀伊郡誌』と『新撰京都名所圖會』
大正四年刊『京都府紀伊郡誌』によると、同年一月六日に石峰寺は火を発し焼燼してしまったが、残っている山門、小門ともに漢風に擬し形状は頗る奇巧である。後山には釈尊槃像(坐像六尺ばかり)を中央に安置し、周囲に十六羅漢、五百大弟の石像を置く。風餐雨食、彫鑽粗朴、わずかにその面目を認るのみ。
その後、昭和の初年になって、拙門和尚の後を継いだ、第十六世龍門和尚が山を整備し、数少なくなっていた石像を、現在の配列に並べかえた。吉井勇がかつてみた若冲の羅漢たちは、現在われわれが目にする様子とほぼ同じである。
ちなみに昭和三十八年刊『新撰京都名所圖會』では、石佛群を九所に分けて記載している。釈迦誕生、来迎諸菩薩、出山釈迦、十八羅漢、説法場、羅漢座禅窟、托鉢修行、釈迦涅槃、賽の河原である。この分類は、石峰寺にて頒布している現在の寺案内冊子と同じである。
この連載「若冲 五百羅漢」も今回で終了です。興味ある方はぜひ、伏見深草の石峰寺を訪れてみてください。寺は伏見稲荷の南東、徒歩わずか十分たらずに位置しています。
若冲シリーズはいよいよ終盤。次回からは「若冲 相國寺・萬福寺など」を連載する予定です。
<2009年10月4日記 昨晩は鴨川の三条大橋から、東山の天空で遊戯する中秋の名月を楽しみました。この地でかつて非業の死をさらされた数多のひとびとの怨念を弔いつつ…南浦邦仁記>