ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

津波の歴史 10 「列島各地 津波の高さ」

2011-05-03 | Weblog
これまでに日本列島を襲った大津波は、数え切れないほどにあります。観測のはじまった明治以降はデータや記録が残っていますが、江戸時代以前は文書などに記された文献のみ。また地震津波考古学が古い痕跡を、発掘で証明しているのが自然科学的貢献です。各地のデータがどんどん蓄積されることが、沿岸部住民の安全のために重要だと思います。日本全国「津波の高さマップ」ができればいいのだが、と思っています。1枚ものの日本地図の海岸部に、過去の津波の高さを記入するのです。
 なお注意すべきは、いくら大きな津波が到来しても、無住地や過疎の地域は、文献に記載されることがまずないということです。現代では、そのようなかつての僻地や湿地帯も開発され、たくさんの住民が暮らしています。しかしどこであろうが、海岸部の低地は、被災の歴史的記録がなくとも「津波てんでんこ」を忘れないようにしなければ。
 今回は「津波の歴史 10」とし、過去に日本列島を襲った大津波の各地の高さ、原則 5m以上の記録を並べてみました。波高はおもに『日本被害津波総覧』第2版 渡部偉夫著 東京大学出版会 1998年を参考にしました。なお 3月11日の高さデータは、さまざまの情報を寄せ集めています。

追記:津波の高さにつきまして、修正版を作成しました。
「日本列島襲来津波高記録 新版」(津波の歴史 29)、2012年1月12日。こちらもご覧ください。


<宝永津波> 宝永4年10月4日 1707 「五畿七道大地震」
 津波が伊豆半島から九州にいたる沿岸を襲い、四国と紀伊半島での被害が甚大であった。死者は2万人以上。家屋倒壊流出6万、紀伊半島などの波高は10mに達した。土佐の津波被害が最大。遠州灘沖および紀伊半島沖でふたつの巨大地震が、同時に起こった可能性が強いといわれています。
「東京都」 八丈小島6m
「静岡県」 下田6m 湊5m 八木沢8~10m 内浦5.5~6m 三保5m 相良6~8m 白須賀5m
「三重県」 大湊5m 国府7~8m 神津佐5m 五ヶ所浦5m 贄浦7~8m 村上7~8m 神前浦7m 古和浦7m 錦6m 長島5m 須賀利5m 尾鷲8~10m 矢ノ浜6~7m 九木5~6m 賀田8~9m 曽根5m 新鹿8~10m 大泊6m
「和歌山県」 勝浦6~7m 古座5m 串本5~6m 田並5m 和深5m 江住5m 周参味5.5m 新庄6~7m 南部6m 印南5.8~6.3m 比井5m 由良5~6m 広5~6m 湯浅5m 海南5m
(参考:大阪市3m 尼崎市1.5m)
「徳島県」 牟岐6m 朝川6~7m 宍喰5m
「高知県」 甲浦5m 佐喜浜5m 室戸5.5m 安芸5m 岸本6m 由岐~浦戸5.8m 浦戸6m 宇佐8m 宇佐~下川口7.7m 須崎6m 久礼6m 上ノ加江5m 佐賀6m 下ノ加江5m 
「鹿児島県」 種子島6m

<八重山津波> 明和8年3月10日 1771 「先島諸島地震」
 八重山・宮古諸島に巨大津波が襲来し、石垣島宮良で波高85.4m、同島白保では60mに達したと記録されている。石垣島では住民の約半数の8300人が溺死。宮古諸島では2500人が水死。総死者は1万2千人にのぼったという記録がある。波高については学者間で意見がわかれるようです。あまりに高い数字は、遡上高ではないかと思います。いずれにしろ日本列島で記録された最高の波高です。
宮古島20m弱 
下地島15m前後 
伊良部島 佐和田18m 仲地10m 伊良部8m
池間島10m
多良間島20m弱
水納島10m以上
石垣島 東岸北端浦崎約30m 東岸中部15m以上 東部南部30m弱 東岸南西部10m 西岸6m
 (※宮良村85.4m 白保村60m 安良村56.4m 野原崎46.7m 大浜村44.2m 嘉良岳39.8m 伊原間村32.7m 玉取崎32.1m 平得村26m 真栄里村19.4m 登野城村12.2m 仲興銘村10.7m)
西表島 東岸5m
波照間島18m以上
竹富島5m
黒島10m以上

<安政東海津波> 安政1年11月4日 1854 「東海・東山・南海道地震」
 津波が房総から土佐の海岸を襲った。沼津から伊勢湾にかけての海岸被害が特にひどかった。伊豆下田では地震の1時間後に襲来して多数の家屋が流失したほか、停泊中のロシア軍艦ディアナ号が大破。全体の死者は2千~3千人。住居の倒壊流失焼失は約3万と推定される。震源域が駿河湾深くまでまで入り込んでいた可能性があり、現在すでに100年以上経過しており、次の東海地震の発生、そして浜岡原発事故が心配されている。
「静岡県」 熱海市熱海6.2m/東伊豆町稲取5.4m/下田市下田6.8m/南伊豆町手石6.4m 入間13.2~16.5m 妻良6.5m/戸田村大浦5.1m/沼津市立保5m 重須6.7m 多比7.2m/清水市入江5.7m 三保5.2m/榛原町榛原5.2m/相良町相良5m 地頭方6.2m/浜岡町(注:中部電力浜岡原発)荒井6m 塩原新田6~7m/新居町大倉戸6m/舞阪市舞阪5.6m 本浦5.6m
「三重県」 鳥羽市堅神6m 鳥羽5.2m 安楽島7.8m 今浦5.8m 国崎21.1m/阿児町甲賀5m/大王町名田6m 波切5m 船越5m/志摩町和具7.9m 越賀10.9m/浜島町南張5.4m/南勢町田曽5m 神津佐5.7m 礫浦5m 相賀5m/南島町阿曽浦5m 慥柄6.9m 贄浦10.8m 神前浦6m 方座5m 古和浦6m/紀勢町錦7.3m/尾鷲市尾鷲6~8m 九木7.8m 早田9.3m 三木里5.5m 賀田7~9.6m 新鹿10m 大泊6m 二本島8m 曾根6.4m 梶賀5.5m
「和歌山県」 勝浦町勝浦6m 古座川町古座5.5m

<安政南海津波> 安政1年11月5日 1854 「畿内・東海・東山・北陸・南海・山陰・山陽道地震」
 前日に続いて32時間後、日本列島西南部に大地震「安政南海地震」が発生した。大津波は房総から九州まで襲来。死者は数千と推定されている。
また翌年10月2日には「安政江戸地震」が起き、津波はなかったが死者約1万という。大地震は続いて何度も発生することがある。現在の日本も地震活発期に入ったといわれている。貞観のころも活発であった。
「和歌山県」 古座川町古座川口7.5m 田原5.5m 袋6.5~7m 有田5m 江田5m 和深5m 江住5m 周参見5m 跡之浦5.5m 新庄6m 芳養5.5m/南部町植田5m 千鹿ノ浦6~6.5m 東岩代6.2m/御坊市南塩屋6m/印南町切目6m 印南6.6m/美浜町西川流域5m 三尾8.7m/日高町小浦5.4m 津久野浦5m/由良町7.5m/広村田町5m 
(参考:大阪市3m 尼崎市2.5m) 
「徳島県」 由岐町7m/牟岐町6m/海南市浅川7m/宍喰町5m
「高知県」 東洋町甲浦5m/安芸市5m/夜須町手結5m 高知市浦戸5m/上佐市宇佐8m/須崎市須崎5m/中土佐町久礼5.2m/佐賀町伊田7.5m/大方町上川口7.5m/大方町鞭6.4m/土佐清水市広域5~5.6m(下ノ加江 大岐 大浜 中ノ浜 下益野 三崎下 川口)

<明治三陸津波> 明治29年6月15日 1896 「明治三陸沖地震」
 三陸地方地上の震度は3程度だったが、大津波が来襲した。津波地震だが、弱い揺れに油断したのが、大被害を招いたといわれている。2万人以上の住民が、ほとんど一瞬のうちに波に呑み込まれ命を失った。死者は、岩手県18158、宮城県3452、青森県343人。
「青森県」 階上村小船渡6m
「岩手県」 種市町川尻12m大浜 12m 八木10.7m 小子内20m/久慈市麦生26m 湊15.7m 二子23m 大尻23m 小袖13.7m 久喜12.2m/野田村玉川18.3m 堀内12.9m/普代村普代15.2m 黒崎18.1m/田野畑村羅賀25.8~29.1m 島ノ越17~23.6m/岩泉町小本5.4~8.2m 下小成20.4m/田老町小林12.9m 乙部8.5m/宮古市白浜8.5m 磯鶏6.1m 堀内12.2m 音部9.2m 千鶏17.1m 姉吉18.3m/山田町本町5.5m 田浜9.2m 船越10.5m/大槌町浪板10.7m 吉里10.7m/釜石市両国11.6m 釜石港5.4m 唐丹本郷14m 小白浜17.1m/三陸町吉浜24.4m 越喜米湾浦浜11.2~13.4m 甫峯15.3m 小石浜17.1m 砂子浜10.9m 崎浜15.7m 白浜38.2m 湊10.7m/大船渡市下船渡5.5m 細浦6.7m 末崎鴨巻13.8m 泊里11.1m 石浜12.8m/陸前高田市小友唯出10.7m 広田泊7.6m 集26.7m
「宮城県」 唐桑町只越8.5m 石浜8.5m 小鯖7.5m 舞根5.9m 大沢6.4m/本吉町大沢8.2m 大谷5.2m/歌津町石浜14.3m 名足9.4m 中山10.8m/志津川町藤浜5.2m 寺浜6.8m/北上町大指5.2m 小泊6.2m/雄勝町荒8.8m
 ※遡上波高: 大船渡市綾里38.2m 陸前高田市28.7m

<関東大震災> 大正12年9月1日 1923
 死者行方不明者は14万2807人。津波も沿岸を襲った。
「千葉県」 洲崎8.1m 相浜9m 布良6m
「東京都」 伊豆大島岡田12m
「神奈川県」 三崎6m 葉山5.4m 鎌倉6m 稲村ヶ崎6m 片瀬6m 江ノ島5m 鵠沼6m 岩村6m 真鶴6m
「静岡県」 熱海12m 下多賀7.2m 網代8m 宇佐美端村7.5m 伊東9m 川名6m 稲取南6m

<昭和三陸津波> 昭和8年3月3日 1933
 地震の被害は小さかったが、津波被害が甚大であった。三陸沿岸の死者行方不明者3064人。家屋流失4034、家屋倒壊焼失浸水6051、船舶流失沈没破損8078.
「北海道」 広尾町タンケソ6m/襟裳町咲梅6m ドンドン岩9.1m トセップ9.1m ルーラン5m
「青森県」 階上村大蛇6m 追越6m
「岩手県」 種市町川尻7m 大浜7m 八木6m 小子内6.6m 中野7m/久慈市侍浜村10m 麦生6.6m 大尻6.5m 二子6.5m 小袖8.2m 久喜5.5m/野田村玉川5.8m/普代村堀内9.1m 大田部13m 普代11.5m/田野畑村明戸16.9m 羅賀13m 平井賀8.2m 鳥ノ越9.7m/岩泉町小本村小本13m 茂師17m 下小成15.4m/田老町田老村下摂侍7m 乙部7.6m 山老10.1m 小林9.8m 舘ヶ森8m 青砂里5.6m 樫内7m/宮古市崎山村女遊戸7.5m 重茂村音部7.6m 里10.9m 千鶏13.6m 石浜12m 姉吉12.4m/山田町大沢6m/船越村船越6m 田浜6m 吉里6m 浪板5.5m/釜石市鵜住居村室浜5.2m 片岸5.4m 両石6.4m/釜石市釜石町釜石5.2m/唐丹村花露辺8.3m 小白浜6m 本郷6m 荒川7.8m/三陸町吉浜村根白6.1m 本郷9m/三陸町越喜来村浦浜5.6m 崎浜7.8m 浦嶺8.2m 砂子浜7.9m/三陸町綾里村小石浜13.6m 白浜23m 綾里大久保28.7m(※最大の遡上波高 ) 石浜9m 田浜7.7m/大船渡市赤崎村合足7.3m/末崎村舟河原8.9m 門ノ浜6.5m 泊里5.7m/陸前高田市広田村根崎集11.2m「宮城県」 唐桑村只越7m 石浜5.6m/本吉町小泉村歳内7.5m/歌津町歌津村田ノ浦5.4m 石浜7.6m 中山6.1m 馬場6.7m/雄勝町十五浜町荒10m/牡鹿町大原村大谷川5.2m
(参考「福島県」相馬市磯部町1.5m/浪江町請戸村1.5m/富岡町富岡1.2m/広野町久之浜町1.5m/いわき市豊間村1.2m 江名村中之作1.2m)

<東日本大津波> 2011年3月11日
 これまで原則 5m以上を記載しましたが以下、未満もいくらか記しました。これからも数字は続々と発表されます。
 ところで、死者行方不明者は25731人。うち行方不明者は、いまだに10969名(5月1日現在)
「青森県」 八戸港6.2m 八戸港周辺8.4m 八戸白浜海水浴場8.8m/階上町大蛇漁港10.7m/おいらせ町深沢地区8.8m/三沢市三沢漁港7.4m
「岩手県」 久慈港8.6m 宮古16m 釜石9.3m 釜石港9.3m 大船渡11.8m 大船渡港9.5m 陸前高田市民体育館15.8m
 ※遡上波高:宮古市姉吉38.9m(下記 40.5m) 宮古市田老小堀内37.9m 田老和野35.2m 田老青野滝34.8m 宮古市松月31.4m 真崎30.8m/田野畑村羅賀地区27.8m 田野畑村島越27.6m/大船渡市綾里30.1m/野田村37.8m/陸前高田市高田町18.9m/大槌町役場付近11.8m
「宮城県」 女川漁港14.8m 女川町18.3m 女川原発14m 石巻市鮎川8.6m 石巻市15.4m 石巻港5m 仙台港7.2m 仙台新港8m 仙台塩釜港14.4m 仙台空港周辺12m(遡上高:女川町34.7m)
 
「福島県」 相馬港9.3m 福島第1原発14~15m 福島第2原発6.5~14m「茨城県」 平潟7.2m 磯原4.8m 日立4.2m 大洗4.5m 鹿島港5.7m
「千葉県」 銚子3m 外川5.3m 飯岡7.6m 旭市7.6m 太東4.2m 勝浦2.2m 根本2.6m
(参考1m以上 苫小牧2.5 根室2.8 釧路2.1 十勝2.8 東京1.3 横浜1.6 御前崎1.4 名古屋1 那智勝浦1.3 土佐清水1.3 宮崎1.6)
<2011年5月3日 南浦邦仁 記 3・11の津波高はその後も追記しています
<3月11日の津波高について、「津波の歴史23 3月11日津波の高さ」で続報しました。6月19日記。ご参考まで>

 ※日本経済新聞5月28日が、広島大学の調査結果(27日に日本地球惑星科学連合大会で発表)を報じました。
 調査方法は、震災後の衛星写真をもとに、撮影された砂や瓦礫などが漂着した地域を、国土地理院の測量データと照合し、津波の到達した高さを計算した。以下、各福島県下各地の遡上高は推定値。
 大熊町 22m
 双葉町 15m
 富岡町・楢葉町 13m
 南相馬市 18.5m
 浪江町 11m <5月29日追記>

 ※遡上高最高記録。アサヒ・コム5月30日によると、全国津波合同調査チーム(京都大学防災研究所・森信人准教授ほか)は、宮古市重茂姉吉地区で、40.5mと発表した。海岸から520m奥の斜面を、津波は駆けのぼっていた。<5月31日追記 南浦邦仁>
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