井原西鶴の本に字「幸福」がひとつも出ないのは、前回にみた通りです。西鶴以前にも、どうも見あたりません。日本ではじめて語「幸福」を用いたのは、江戸時代でも後期の文人・上田秋成(1734~1809)であろう。そのように考えています。『雨月物語』(1776)と遺稿「膽大小心録」に「幸福」がみえます。以下、(かな)は原文の振りかなです。
「上皇(じやうくはう)の幸(さいはひ)いまだ盡(つき)ず」<雨月巻1白峯>
後白河上皇の好運はまだ尽きていない。
「他死(かれし)せば一族(ぞく)の幸(さいはひ)此時に亡(ほろぶ)べし」<雨月巻1白峯>
彼さえ死ねば、平氏一族の運は一気に亡ぶはずだ。彼とは平重盛。
「貧をいはずひたすら善を積(つま)ん人はその身に來らずとも子孫はかならず幸(さいはひ)を得(う)べし」<雨月巻5貧福論>
貧賤・富貴を口にせず、ひたすら善行を積み上げる人には、たとえ自分自身では得られなくても、子孫が必ず福運を得ることができるのだ。
「名に高きは必不幸つみつみて節ニ<節操を守って>死するなり 世にあらはれぬは必幸の人々なり」<胆大155(156)>
「漢学はやめてわつかよむと事のすむ古学者といはれたは幸しや」<胆大 異文2>
幸福はそれぞれ、運、好運、福運と現代語訳されています。
それと「幸福」字は登場しましたが、雨月物語三例の読みは「さいはひ」です。胆大小心録には振りかながついていません。「かうふく」「こうふく」でしょうか?
雨月がすべて「さいはひ」ですから、胆大も同様に読むべきではないでしょうか。ただ気になるのが「不幸」です。これなど「ふしあはせ」とすべきですが、
「信玄死(しんげんしし)ては天(あめ)が下に対(つい)なし 不幸(かう)にして遽死(はやくみまか)りぬ」<雨月貧福論>
不幸の幸を「かう」「こう」としています。
また胆大小心録異文2には、振りかなはついていませんが「不幸か天祿か」。天禄は「てんろく」でしょうから、読みで「ふしあわせ」では釣り合いが取れません。やはり「ふこう」が自然です。
これまで延々と「さち」「さいわい」「しあわせ」を古代からみて来たのですが、やっと「幸福」にたどり着きました。幸福「さいわい」の発見です。しかし決して幸福な気分ではないのが残念です。
追記:現代中国でも「幸福」が日本と同じような意味で使われていますが、本来は「福」であって、語「幸福」はだいぶ後世からの使用のようです。華語「幸福」はその内に調べてみようと思っています。
<2012年9月24日 「秋成」もう1回続けます 南浦邦仁記>