椿山荘の羅漢 (1)
東京の椿山荘にも若冲の石造羅漢像が、いまも十九体あります。江戸時代に京都深草でつくられた石像羅漢が、なぜ東京にあるのか。最初知ったとき、不思議でした。若冲の石像は江戸時代には、京都から流出していません。
椿山荘の羅漢は石峰寺と同じく、若冲の下絵にもとづき、あるいは素石に彼が線を墨で描き、石工によって彫られた石像に違いありません。大きさや姿形石質、伝承ともすべて一致します。
ところで、これと関わりが推測される文書が、黄檗山萬福寺に残っています。若冲没後、ちょうど百年にあたる明治三十三年(一九〇〇)、京都府知事宛書状の控写しです。なお文書には関係者全員が自署捺印しています。
羅漢献上之儀ニ付御願
京都府下紀伊郡深草村石峰寺
一當寺境内山上ニ有之石像五百羅漢之内数拾壱体
小松宮殿下御所望ニ付取調候処尤モ全体無之且大意ニ破摧シ當時維持困難ノ折柄幸ヒ
殿下御所望速ニ献上仕度依テ檀信徒及組寺法類等逐協議候処双方異儀無之仍而連署ヲ以テ上願仕候間何分ノ御指令相成度此段願上候也
明治三十三年六月廿八日
右石峰寺住職 阪田拙門
右寺檀信徒総代
石岡幸次郎
玉田安之助
石田喜助
雨森菊太郎
仝 京都府下上京區鞍馬口 閑臥菴住職 法類 辻無染
仝 京都府下紀伊郡堀内村海宝寺住職 組寺 荒木太觀
仝 郡仝村 聖恩寺住職 第十五區 黄檗宗務取締 林田翆巌
京都府知事高崎親章殿
<2008年11月24日 南浦邦仁>