水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

春の風景 (第十五話) 夢の中で

2013年09月06日 00時00分00秒 | #小説

        春の風景       水本爽涼

    (第十五話) 夢の中で      

 順調な日々が流れ、事もなげな日常がようやく繰り返される春となった。僕は新学期で一年進級したが、僕をめっぽう贔屓(ひいき)にしてくれる丘本先生の担任もそのままで、身の回りにはそう大した変化はなかった。父さんもじいちゃんの心配を余所(よそ)に、僕の予想通り安定したヒラが続くことになったようだ。母さんもそれを見越して、異動の時期になってもその件には何も触れなかった。まあ、母さんの場合は妹の愛奈(まな)のこともあったから、気にする暇(ひま)もなかったのは事実だ。とにかく、前年並みの春が今年も続くことになったのだから、今ある幸せに感謝しなければ罰(バチ)が当たるだろう。
「今日は体育がきつかったから、早く寝るよ」
 すがすがしい春の陽気の中、この日は体育のサッカーで動き過ぎたのだ。
「ほう、正也が疲れるとは珍しいな。わしの稽古では弱音を吐かんが…。ほれ、これを飲んで寝なさい」
 じいちゃんは滋養強壮剤と書かれた瓶から一粒を出し、僕に手渡そうとした。、まさか、僕が萎えた老人と同じと思ってはいないのだろうが、少しいかがか・・とは思えた。だが、師匠の善意を無碍(むげ)にはできないから、「ありがとう…」と一応、受け取っておいた。後から始末すりゃいいや・・と、高を括(くく)っていると、じいちゃんは僕の薬を握った手を見続けている。僕は仕方なく炊事場でコップを出し水を注いで薬とともに飲み干した。そして、母さんに「おやすみ…」と言いながら、そそくさと自室へ撤収したのだが、その夜はその薬のせいかどうかは知らないが妙な夢を見た。夢の中では愛奈(まな)がすでに話せるようになっていて、母さんにべそをかきながら語りかけていた。
「お兄ちゃんが私を苛(いじ)めるの!」
「まあ! そうなの? 正也!」
 僕は必死に手振り身振りで否定しているのだが、声は出なかった。
「お兄ちゃんなんだからね!  駄目じゃない!!」
 母さんは僕をきつく叱った。哀れにも無実の罪を着せられた僕は、なおも手振り身振りで言い訳をしていていると目が覚めた。体中、びっしょりの汗だったが、どういう訳か疲れはすっかり失せ、身体が軽くなっていた。目覚ましは深夜の二時近くを指していた。このままでは風邪をひく…と思った僕は浴室へ行き、シャワーでさっぱりした。その後はこともなく、朝を迎えた。四人で朝食のテーブルを囲んでいると、じいちゃんがさっそく訊ねた。
「どうだ、正也。よく効くだろうが…」
「うん!」
「ははは…、弟子が困っておるのを看過(かんか)できんわ」
 じいちゃんのお武家言葉の意味は分からなかったが、可愛く笑った。夢で母さんに叱られた下りは黙っておいた。


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