春の風景 水本爽涼
(第二十話) 八十八夜
♪夏も近づくぅ~八十八夜ぁ~♪という唱歌がある。茶摘みの歌だが、我が家ではお茶が結構、飲まれる。とくにじいちゃんに至ってはお茶のない生活は有り得ない・・と思えるほどの茶好きだ。番茶、抹茶、煎茶、法事茶、紅茶・・と、なんでもござれで、離れのじいちゃんの茶の間には、各種のひととおりの茶が置かれているのだ。全部飲むの? と訊きたくなるのは家族で僕だけではあるまい。置いておいてもお茶は劣化するからだが、師匠はどうしてどうして、そこら辺りは心得ていて、ほんの少しづづを茶筒に入れておくのだ。聞けば、態々(わざわざ)茶の販売店まで出かけて、グラム買いするようだ。ここまでいけば、茶通(つう)と言わねばならないだろう。
「お義父さま、お茶が淹(はい)りましたよ…」
離れまで母さんが呼びに来た。僕はじいちゃんの部屋で菓子をお相伴しつつ茶を飲んでいた。いや、じいちゃんに付き合っていた・・という方が正しいだろう。嘘はいけないから正確に言えば、お茶はどうでもよくお菓子をせしめていた・・というのが真意だ。
「あっ! どうも…。今、行きます、未知子さん」
じいちゃんは愛想よく返答した。えっ?! 今、茶を飲んでるじゃない? という顔をすると、じいちゃんは、しみじみと言った。
「コレはコレ、アレはアレ…」
僕は、よく分からなかったが、ふ~んという分かり顔をした。後から聞いたのだが、今の季節は新茶が美味しいそうで、いろいろ味わいが違って楽しみだという。師匠が茶通でなければ、おかしなことを言う人だ・・と思うのだろうが、何といっても師匠で茶通のじいちゃんが言うのだから、そうなのだろう・・と思える説得力があった。父さん、母さん、僕、じいちゃん…で新茶を堪能してワイワイと寛(くつろ)ぎ、愛奈(まな)はお茶とはいかないからミルクを飲んでスヤスヤと寛いでいた。
「いい季節になりましたね…」
父さんにしては、まともな言葉が飛び出した。
「ああ、今日は八十八夜か…」
「今夜は戴きもののタケノコで、木の芽添えの味噌田楽にしましたわ」
「ほう! それは楽しみですな。未知子さんは料理がお上手ですから…」
「まあ、嫌ですわ、お義父さまったら」
母さんは上品にホホホ…と笑った。じいちゃんが言ったのは強(あなが)ちベンチャラでもなく、母さんの料理は確かに美味いのだ。お嫁さんをもらうなら、こういう人に限る・・と僕は常々、思っている。ただ、ホホホ…は困る。