春の風景 水本爽涼
(第十六話) やわ肌
誕生当時は妹の愛奈(まな)を散々、こきおろした僕ったが、数カ月経った今は、さすがに可愛くなってきた。いや、これはお世辞でもなんでもなく、父さんのように目に入れても痛くないとまでは言わないが、この上なく可愛いのは事実なのである。まあ、美人の母さんの優性遺伝子を引き継いだから・・と考えればそれまでだが、父さんには似ない方がいいとは、かねがね思ってへおろいたところだ。結果、母さんに似たのだから、それはそれでよかったのだろう。父さんが醜いなどと言うつもりは毛頭ないが、イケメンでないことは事実なのである。
「よく飲むわ…」
母さんが愛奈に母乳を与えながらポツリと言った。僕はタマとポチに餌を与えた後、自分の口にもおやつを与えていたところだった。この煎餅はなかなか美味いな・・と思っていたときの母さんの一言だった。そこへ師匠のじいちゃんが離れからやってきた。運悪く、そこへ庭木に水遣りを終えた父さんが沓脱石から上がってきた。必然的にじいちゃんと父さんは出くわした。
「おお、恭一、ごくろうさん。わしも水を遣ろうと思ってたとこだ」
「そうでしたか…」
まあ、落雷や小言を食らうことはあるまいと父さんは安心したのか、ニンマリと顔を緩めた。
「未知子さん、飯にして下さらんか」
「はい! もうすぐ…」
じいちゃんは母さんの授乳風景を見て、それ以上は言わなかった。いや、しまった・・と思ったのかも知れない。
「愛奈は餅をついたようなやわ肌ですな、ははは…」
取り繕う瞬間の言葉なんだろうが、じいちゃんはまったく関係ないことを口走ってしまった。
「そうですね。あの、やわ肌には参ります」
「お前もそう思うだろ?」
愛奈が取り持って、事なきを得た。愛奈のやわ肌に関しては、確かに僕もそう思う。いつやら抱っこしたときは、スポンジケーキのやんわり感を想い出したくらいだ。そのとき、授乳を終えた母さんが愛奈を乳幼児ベッドに下ろして振り返った。
「正也! 夕ご飯が食べられないわよ! お茶碗、出して頂戴!」
「は~~い!」
危うく母さんの投げた小柄(こづか)をヒラリ! と躱(かわ)して、僕は慌てて煎餅を齧(かじ)るのをやめた。父さんの災難が形を変えて僕にやってきた格好だ。愛奈のやわ肌話を言っている相場ではなくなってきた。