水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

春の風景 ☆特別編(2の2)  叫び

2013年09月13日 00時00分00秒 | #小説

   春の風景☆特別編(2の2)    水本爽涼

    特別編(2の2) 叫び      

 うららかな薫風が戦(そよ)ぐ中、爽快な愛奈(まな)の笑い声がする。まさにこれは日本の平和を物語る一瞬だ…とか思いながら柏餅をガブリ! と齧(かじ)った。今日は子供の日だ。去年までは僕一人だったが、今年の湧水家は二人の子供で大賑(おおにぎ)わいである。正月の愛奈の誕生から早いもので丸四ヶ月が経った。まあ今日は端午の節句でもあり僕の独壇場なのだが、かといって三月の桃の節句が愛奈の独壇場だったか…と顧(かえり)みれば、そうでもなかったことに僕はふと気づいた。まだ彼女は泣き叫ぶことくらいで、家族に存在力を示すまでには至っていなかったのが原因だ。そこへいくと僕は大いに叫んでいる。
「母さん、これしかないの?」
「去年はそれがいいって、ずっと着てたでしょ!」
 子供の日だから少しは身を窶(やつ)そうと、いい衣装をリクエストしたのがいけなかった。母さんは間髪いれず僕を窘(たしな)めた。それを横目にじいちゃんが赤ら顔で茶を啜(すす)る。
「正也殿、武士の具足は心に纏(まと)うものでござるぞ」
 意味が分からず、笑顔でそう言われては二の矢がつげない。僕は渋々ながらも無言で撤収した。
「あら! じゃあ、それでいいのね!」
 母さんが後退(あとずさ)りする僕を追い討ちしてきた。僕は咄嗟(とっさ)に「うん…」と一応、頷(うなず)いて攻撃軍を振り払った。幸いそれ以上の追撃はなく、僕は危うく難を逃れた。迂闊(うかつ)な叫びは身を滅ぼすな…と改めて知らされる出来事だった。そこへいくと、父さんの叫びは慎重だ。しかし、その慎重さもじいちゃんの前には儚くも潰(つい)える。その都度、父さんはひたすら忍耐の人となってそれらの場を凌ぎきるのだ。よく考えれば、巧みな技師とでも言えるのではあるまいか。じいちゃんは誰に気兼(きが)ねする風でもない叫びで他を威圧する。ただ、母さんに対してはどういう訳か青菜に塩で、攻撃力を有しない。母さんは、ほほほ…だから、上品な叫びに彼女の主張がやんわりと含まれている気がしないでもない。愛奈はそこへいくと、先程の話のように泣き叫ぶことがすべてだから、今のところはタマ、ポチと同列であろう。
 今年もじいちゃんが揚げてくれた鯉幟(こいのぼり)が風に棚引いて、なんとも優雅だ。聞こえてくる父さんのハーモニカは相変わらず拙(つたな)く、やめてもらいたいのだが、まあこれも我が家の行事的な色彩になりつつあるから甘受しなければならないだろう。ある意味、ハーモニカは音楽に乗せた父さんの叫びなのかも知れない。それは幾らか、鬱憤(うっぶん)を晴らす心の叫びに思えなくもない。洗濯物を取り入れる母さん、陽光に照かるじいちゃんの丸禿(まるは)げ頭、愛奈の泣き声、父さんの拙いハーモニカの音色、なんと長閑(のどか)で平和なことか…。タマもポチも寝入っている。銃弾の飛び交わないこの有難い日本に住めることを素直に感謝したいと僕は思う。せめてもの心の叫びである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする