夏の風景 水本爽涼
(第二十話) 衰え
あれだけ猛威をふるった夏将軍も、夏休みが残り少なくなった八月下旬には、ようやく引っ越しの手続きを始めた。そうは言っても、表立っては相変わらず、『まだ帰らんぞっ!』とばかりに攻め立てたが、じいちゃんには歯が立たないようで、一目(いちもく)置いている風であった。その証拠に、じいちゃんが西瓜(すいか)を、わずか数口、頬張っただけで食べ終えると、必ずどこからか涼風がスゥ~っと流れ、辺りを冷んやりとさせるから不思議だった。じいちゃんには衰え、というものがないだけに、いささか夏将軍も面喰(めんくら)ったのかも知れない。そこへいくと父さんは、いい鴨で、夏の終わりともなると必ずバテたから、このお方には勝ったな…と思ったか思わなかったかは知らないが、僕には明らかに夏将軍の勝ちに思えた。しかし、バテた父さんは夏将軍が去ると、これも必ず復活したから、しぶといお人である。妹の愛奈(まな)は生まれて半年以上になるが、すっかり我が家の天下様で、至れり尽くせりの厚遇を受けておられる。だから夏将軍といえど手出しは出来ず、窓の向こうから熱気のある直射日光を浴びせる程度だったが、その光線さえシールドのような夏カーテンに遮(さえぎ)られ、さっぱり攻め手を欠いていた。だから、じいちゃん以上に負けに思えた。母さんはタフで、父さんと比べるのも憚(はばか)られるほどだった。彼女は賢明さで夏将軍を逆手(さかて)にとっていた。暑い日中の行動は極力避け、朝四時頃~十時頃までを行動範囲とし、愛奈の世話以外の家事は最小限に留めた。で、冷んやりした洗い場の湧き水近くの日蔭でタマ、ポチと同じく、ハンモックで寛(くつろ)いでおられるのだった。だから母さんの場合、衰えなどはまったくご縁がなかった訳だ。やることはやっておられるのだから、家族から苦情など出るはずもない。僕は? といえば、夏将軍とは仲のいい友達関係にあり、野に山に…と遊ばせてもらった仲だ。この人も衰えないなあ…と夏将軍は思っていたことだろう。隙(すき)あらば熱中症に・・と攻められることは、すでに僕の想定内で、母さんから手渡された水筒と日避け帽は必ず装着して外出したことが夏将軍をそう思わせる一因になったかも知れない。
総じて、湧水家の人々は僕を含めて、したたかだ、ということになる。もちろん悪い意味ではなく、世界ランキングに入るのでは…と思わせる、いい意味である。