水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

暮らしのユーモア短編集-32- 勝つということ

2018年06月16日 00時00分00秒 | #小説

 私達が生きる社会では、否応(いやおう)なしに勝ち負けの結果を求められる。表立って勝ち負け・・とは言わないことでも、結果を残せたか否かにより、自ずと表面化するのだから怖(こわ)い。通知簿の成績が2などというのは、明らかに負けのように見える。だがっ! だがっ! である。果たしてそれが本人にとって負けなのかといえば、必ずしも、そう! とは断言(だんげん)できないのだ。それを言い換えれば、必ずしも勝つということではない・・と言える。それほど、勝つということは何をもってそう言えるのかの定義が難しい・・ということに他ならない。多大な犠牲を払って戦争に負けた結果、修羅から解放され、平和な国に暮らせる・・という我が国の現実もあるのだ。勝つということは負けることが許されず、完全に負けるまで戦うことを余儀なくされることを意味し、勝つということでは決してない・・と逆に言える訳だ。人に勝とうとした瞬間、その人は、すでに自(みずか)らに負けている・・と言える。
 新しく結成されたとある町の将棋同好会の一場面である。将棋愛好家の老人達が対峙(たいじ)して将棋を指している。
「いやいやいや…優勝までは昼抜きですっ!」
「そうですかぁ~? それじゃ、私はこれで…。もう負けましたから…」
「ああ、どうぞどうぞっ!」
「では、お先に…」
 一人の老人は早々と負けたことにより、美味(おい)しい肝吸(きもす)い付きの鰻重(うなじゅう)を賞味(しょうみ)し、勝ち続ける老人は、空腹の腹を抱えながら将棋盤に向き合う・・という、なんとも皮肉な時の進行を辿(たど)ることになった。
 勝つということは、実に判断が微妙(びみょう)~~なのである。^^

                                完


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