暮らしていると、さて、どちらを…とか、どちらに…などと、選ぶべき道や方法、物で悩まされることがある。その分かれ道が多岐(たき)に分かれるほど、その悩みは大きくなる訳だ。
棋院の会館でとある囲碁の棋戦(きせん)が行われている。和間の幽霊の間(ま)には[幽霊幻覚]と書かれた達筆の掛け軸がかかり、なんとなく怖(こわ)そうな雰囲気を辺(あた)りに漂(ただよ)わせる。
「猪掘(いのほり)名人、残りあと6回です…」
時計係の芋川(いもかわ)二段が朴訥(ぼくとつ)に残り時間を告げる。猪掘は次の一手を、さて、どうしたものか…と悩(なや)みに悩み、熟考(じゅっこう)していた。
別の大部屋では、全国から選抜された有段者を前に、棋戦の様子が大盤で解説されていた。
「どうなんでしょう?」
若い女性棋士の千波三段がもう一人の老練な男性棋士の解説者、澤藤九段に訊(たず)ねる。
「ええ…なかなか、悩ましいところです。こういけば、こうなり、こういけば、こうなりますが、出られてサッパリです…」
「では、そちらから、というのは?」
「ああ、そちらからですか…。そちらからですと、こうなって、こうなりますから、当然、石は生き辛(づら)く、苦しくなります」
「苦しいですか?」
「ええ、きつい山道を登るように…。まあ、生きられなくもないですが、(つら)辛いですよね。強烈な努力! これが肝要(かんよう)となりますっ! ただ、生きるだけというのは…。その辛さを避(さ)け、こうですと、こうなり、前の手順で出られます。どちらも一局ですが、この局の勝敗を決める分かれ道でしょう」
そのとき、対局場では、対戦相手の道山(みちやま)九段が、俄(にわ)かに便意(べんい)を催(もよお)し、トイレへ行くべきか行かざるべきか…の分かれ道に立たされていた。
完