あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百九十八回
次の日の朝、私は起きるとすぐ新聞受けへ行き、新聞を取り出した。しかし先日、煮付(につけ)先輩が指摘したような私の記事は載っていなかった。とりあえず私は、ホッとした。ところが、それは単なる糠(ぬか)喜びでしかなかったのだ。その翌朝、つまり、先輩が予告した次の日、どデカい見出しの記事が出た。それには、先輩の内容に加えて世界各地でTSS免疫ワクチンが耐性ウイルスを死滅させたことが記されていた。そして、その記事の提供者が現内閣の民間出身大臣である私だ、とあった。私はこの段階で日本の、いや、世界における時の人となってしまったのである。幸いにも、この記事が載った朝は、私に対する記者連中の取り巻きは起こっていなかったが、その夕刻、私がラーメンでも食べようと、何げなく出た表通りで取り巻かれたのである。私は、まるでスターであった。
「塩山大臣、世界を救われた感想をひと言!」
突然、私の目の前へマイクが向けられた。こうなっては、どうしようもなかった。
「えっ? いや…、ちょっと通して下さい」
「お願いしますよ、大臣!」
別の記者が急に横から差し出したマイクが私の歩みを止めた。私はとうとう観念して、インタビューに答える決心をした。
「…人類が救われるかは、まだ経過中でして、何とも分かりませんので…」
「世界では、もっぱら時の人としてノーベル賞の呼び声が高くなってますが…」
ノーベル賞の授賞式が12月10日であることは知っていた。
「今は、賞の時期じゃないでしょ?」
そんな声が世界で起こっていようとは、もちろん、その時の私は知らなかった。私は一応、質問を斬り返した。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百九十七回
その二日後、外は小雪が舞っていた。私は正月の残り餅を焼きながら、久々にマンションでのんびりしていた。正月返上の忙しさで、ようやく休めた二日間だった。むろん、大臣だから、何か不測の事態があれば緊急出動を余儀なくされる立場なのだが、耐性ウイルスの免疫が発見された安堵(あんど)感からか、余り心は乱れていなかった。餅を食べ終えかけたとき、急に電話が鳴った。携帯ではなかった。
「おお塩山か、喜べ。耐性ウイルスの免疫ワクチンの製造認可が下りたぞ。しかも、世界にその製造法が配信され、各国でも製造がはじまるようだ。これで、パンデミックは食い止められるぞ」
「そうですか! そりゃ、よかった」
私は煮付(につけ)先輩の朗報に歓喜した。
「ただひとつ、拙(まず)いことができた」
「えっ? どうしたんです、先輩」
「実は、小菅(こすが)総理がメディアの前でついうっかり、失言されてしまったんだよ」
「何を、ですか?」
官房長官の先輩だから、内閣の情報は逐一、手に取るように伝わっていた。
「君のことを、だ。報道陣の質問の中で、なぜ土壌菌がウイルスに有効だと分かったのか、という質問が飛んだようだ。総理の性格だから、ありのままを包み隠さずおっしゃったようだ」
「私の記事が報道される、ということですか?」
「ああ、恐らく明朝の新聞には大きく載るだろう」
「ええっ! こりゃ、参りましたね…」
私は偉い大ごとになったぞ…と、心配になっていた。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百九十六回
結果から先に云えば、お告げの内容はすべてが正しかった。むろん、私はお告げが間違った内容を云うはずがない、と固く信じていたが、特別編成チームが出した報告に、やはりそうだったか…と、安堵(あんど)した気分だった。その中に、これで人類、いや地球上の家畜を含む全動物が救われると、ほっとした安堵感があったことも否(いな)めない。
「総理! それは、よかったですね!」
「塩山さんのお蔭(かげ)ですよ、ほんとに。味見(あじみ)さんもひと安心で、枕を高くして寝られると云ってられましたよ」
「そうでしたか…」
小菅(こすが)総理に呼ばれ、官邸を訪れていた私は、総理から研究報告を聞いたところだった。その時、煮付(につけ)先輩が、いつもの豪快さで入ってきた。
「おい! 塩山、やったな!」
開口一番、笑顔の言葉が飛んできた。
「いやあ…。私は何をしたという訳じゃないんですが…。それに、免疫ワクチンが市場に出回ってない段階ですし、まだ安心は…」
「まあ、そう云うな。耐性ウイルスが死滅するワクチンの成功は確認されたんだ。あとはワクチンを世に送る課題だけなんだからな」
「はあ…まあ、そうですが」
先輩の云っていることは正しかったので、私は語尾を暈しながらも肯定した。
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第ニ百九十五回
次の朝、さっそく私は小菅(こすが)総理の官邸を訪ねた。総理も忙しいから当然、事前連絡をとってのことだ。私は、お告げのことだけは伏せて、土の雑菌に纏(まつ)わる話をした。
「ほう…。それは本当ですか? 誰からのお電話かは事情で云えないとのことですが、その方は大学で教鞭をとっておられる方でしょうか? 偉く専門分野のお話をされてますが?」
「ええ、まあそのような立場の方です」
「我が国も家畜伝染が確認されましたし、一刻を争う事態です。世界中が治療法発見に躍起となっておるときですから、この雑菌が、というより、この土への発想と研究が人々に福音(ふくいん)となればいいのですが…」
「分かりました。さっそく味見(あじみ)さんを呼んで、何らかの手立てを講じましょう」
小菅総理も煮付(につけ)先輩が局長の国家戦略局へ寄る用向きがあるらしく、私との話は、わずか十分ほどだった。それだけ我が国は一刻を争う対応を迫られていたのである。
私が総理に進言した話は、ことがことだけに、すぐ味見厚労大臣の耳へ伝わり、トントン拍子に実現へ向け動き始めた。まず、厚労省トップから指示が下され、研究機関に特別編成チームが組織され、直ぐに土壌研究が開始された。通常の場合、半年以上はかかる行政対応も、その緊急性からか、わずか一週間という迅速さであった。
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第ニ百九十四回
「その菌なら、パンデミックを阻止できると?」
『ええ、そのはずです。そればかりか、インフルエンザ、エイズ、結核など、他のウイルスや菌の抗体に、さらには癌治癒の一助ともなることでしょう。…分かりましたか?』
「はい、一応は…。しかし、この話を私がしたとして、人々は信じてくれるでしょうか?」
『一地方の会社の常務だったあなたなら無理な話でしょう。ですが、今のあなたの地位は?』
「…小菅(こすが)内閣の大臣です」
『でしょ? 一国の大臣なのですよ、今のあなたは。内閣の一員のあなたなら、総理を動かして世の人々を信じさせることは可能です』
「そうでした。私は今の地位の自分を忘れてました。さっそく、総理や厚労大臣と協議しますが、なんとかできるかも知れないですね?」
『なんとかできるかも知れない、のではなく、なんとかするのです。塩山さん、あなたが』
「私が、ですか?」
『はい、あなたが…。あなたはすごいんですよ、それをお忘れなく。もう少し、自信をお持ちください』
「分かりました、やってみます。長々と、ありがとうございました」
『いいえ、どういたしまして…』
それでお告げは途絶えた。浴槽の中に浸かったままの私は、やや逆上(のぼ)せてしまったようで、慌(あわ)てて浴槽から立ち上がって出た。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百九十三回
当然、発生地域周辺の家畜は(とさつ)処分された。このウイルスの強力さは鳥、豚、牛など一切の家畜に伝染性をもつ点で、今までの単一性の家畜のみに留まらない異常さにあった。しかも多剤耐性のウイルスなのだから、人類は、まったく手の施しようがなかったのである。
『お待たせしました。大玉様の了解が得られました。塩山さん、とうとうあなたのすごさを全世界の人々に示す時が来たようです。この今が最大かつ、ただ一度のチャンスなのだと大玉様は申されました。あなたを手助けせよ、とも…』
「私のことなど、どうだっていいのです。世界の人々が救われれば…。ただ、それだけです」
『はい、まずそのことでした。私は結果を先に云ってしまったようです。すみません…。では、ウイルスの蔓延(まんえん)を静止する方法をお教えしましょう。一度しか云いませんから耳を欹(そばだ)てて、よ~くお聞きください』
「はい…」
『土はご存知ですよね?』
「えっ? 土ですか? …そりゃ、もちろん。土ですよね? 地面の」
『そうです。その土です。世界のどこにでもある土です。その土の中に、ある種の雑菌がいるのです。その名は申せませんが、頭のいい人類なら、すぐ発見できるでしょう』
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百九十ニ回
『灯りを点滅させるところなんか、乙(おつ)でしょ? ちゃんと事前に知らせている訳です。まあ、玄関チャイムのようなものでしょうか』
最初にお告げが流れたのは、この冗談めいた言葉だった。
「はあ、それはまあ…。しかし、それはどうでもいいんですがねえ~。突然、来られても、心臓が飛び出るほど驚きやしませんから…」
『そうですか? それじゃ、次回からはそういうことに…。で、今回、お呼びになったのは、どういった用件でしょう?』
「ええ、そうでした。そのことなんですよ。もう大よそはお分かりかと思いますが…」
『世界に広がり続けるパンデミックスの話ですよね?』
「はい、図星です!」
『やはり…。それで?』
「なにか、いい手立ては、あるか…です」
『そのことですが、あるなしを含め、大玉様にお訊(たず)ねせねば、お答は、しかねます』
「一刻を争う事態なんです。なんとか早くお願いします!」
『分かりました。しばらくお待ちください』
お告げは会社の電話受付嬢のようなことを云った。しかし、携帯で見たネットニュースの情報では、すでにウイルスの蔓延(まんえん)が全世界に及びつつあり、この日本でも感染家畜が確認されたと報じられていた。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百九十一回
疲れがドッと出て、私は家へ帰ると一番に浴槽へ温湯を張った。身体だけでなく、かなり精神的に参っていたから、今回は気疲れだなあ…と思えた。その原因が世界を席巻(せっけん)しようとしているパンデミックスにあることは誰しもが認めるところであった。だから風呂だったのだが、風呂へ入ろうと玄関ドアを開けながら思った訳は、もちろん疲れだけではない。念力を送らねば…と玉へのコンタクトの一件を無意識で考えていたからだった。マンションの風呂は、眠気(ねむけ)の自宅とは違って最新型であり、フラッシュ・メモリーほどの大きさの受信機へ浴槽の温湯が一定量、入った場合はピピッ! と発信してくれるのだ。当然のことながら、温湯は設定次第でどうにでもできる全自動である。ちょうど、背広を脱ぎ終え、ネクタイを外したとき、その音がした。のんびり動いていたのが幸いして、ベスト・タイミングだった。
浴槽へ浸かると、一気に疲れがふっ飛んだ気がした。いつかもそうだったように、浸かってしばらくし、気分が落ちついた頃合いを見て、私は目を閉ざすと念力を送り始めた。どれだけ集中して呼び出せるか…が、私の腕にかかっていた。
念力を送り始めて十分後、浴室の照明が俄(にわ)かに点滅を始めた。これはもう、紛(まぎ)れもなくお告げの訪問に違いなかった。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百九十回
アジアの一角で発生し猛威をふるったウイルスは、わずか一ヶ月で世界各地に飛び火した。これでは何のための輸出入禁止決議なのか…と、国連で疑問視され始めた頃、発生地付近で最初の死亡者がでた。WHOは蒼ざめ、私もそのニュースに唖然とした。ウイルスを止める手立てのない現状では、孰(いず)れ人類は滅(ほろ)んでしまうであろう…と刹那、思えた。
国家戦略局長の煮付(につけ)先輩は、私以上に驚愕(きょうがく)していた。幸いにもこの時点で、我が国では感染家畜の報告はされていなかったが、世界に蔓延(まんえん)する勢いを見せているウイルスが日本へ侵入するのは時間の問題かと思われた。だから煮付先輩も必死なら、小菅(こすが)総理、雑穀(ぞうこく)厚労相以下の閣僚も必死で、東奔西走していた。人類に手立てがない以上、ここは見えぬ力に縋(すが)るしかない…。よし、お伺いを立ててみようと、ふと玉の霊力を思った。玉ならば、何かのヒントを与えてくれるかも知れない…という淡い希望的観測だった。で、私はさっそく念力を集中して想念を送ってみることにした。過去に一、二度、テストパターンだが、私からコンタクトをとり、玉のお告げを呼び出すことに成功したことがあったから、強(あなが)ち捨て鉢な賭けではなく、ある程度、呼び出せる自信はあった。さすがに人目のある所や時間帯では…と思え、マンションへ帰着してからにしようと思った。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百八十九回
国会が閉会中に、世界では私が予想だにしない事態が起ころうとしていた。折りしも、わが国では食料安定化法の施行直前だったのだが、アジアの一角で飼われていた家畜に蔓延(まんえん)した耐性ウイルスが世界を席巻(せっけん)しようとしていたのである。この多剤耐性ウイルスを止める手立てはなく、世界の生物学者が警告を発していたパンデミックスが現実に起ころうとしていたのである。むろん、この事態は人類の生命を脅(おびや)かすだけでなく、人類が生存するために必要な動物性食糧の危機を招いた。国連は緊急措置を余儀なくされ、ウイルスの蔓延を阻止すべく、世界の輸出入を全面禁止する非常事態決議を採択した。WHOも全世界へ向け緊急対応措置を発信、特別部局を設置した。国会閉会中の小菅(こすが)内閣は緊急閣僚会議を開き、食料安定化法の施行日の前送りとパンデミックスへの特別措置を専決処分した。総理は各大臣へ国民生活に万端、抜かりない措置を指示した。
「偉いことになってきたな、塩山」
「はい、まったく…。明日はどうなることやら…」
煮付(につけ)先輩は会議終了後、各大臣が総理の指示で散っていく中、官邸出口へと歩きながら私にそう云った。私の文科省は、学校や父兄への混乱防止の徹底を全国の教育委員会へ周知させることにあった。煮付先輩は、国家戦略局の新たな局長として、各大臣の報告を一手に受けて対処するため、どっしり構えるということだった。