あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百八十八回
「ははは…、そういう馴れ初(そ)めじゃないんですよ。こいつ、いや、塩山大臣とは学生時代、ワンダ-フォーゲルで先輩後輩の付き合いをしたのが縁で、部活以外でも何かと面倒を見させてもらったというような…」
「ええ、そうなんです。煮付(につけ)先輩には、いろいろと、お世話になっておりました」
「ワンゲル部でしたか…。私も山登りは嫌いじゃないんで、時折り低い山なんぞに登ったりしております」
「ほう、総理が? こりゃ、初耳ですな」
「煮付君には云ってなかったかな?」
「はい、まったく伺(うかが)っとりません」
「そうだったか…。まあ、そういうことだ」
「総理も登山をされておられたんですか?」
「ははは…、登山などと、そんな大仰なものじゃないんですが…」
「どうりで、政治への取り組みが忍耐強い」
「いやあ…、参りましたな。つまらんことを云ってしまいました。二人に馴れ初(そ)めを訊(き)こうと思ったんですが、これじゃ逆だ、ははは…」
小菅総理は一笑に付した。
「お訊(たず)ねになりたいことは、それだけですか?」
「えっ? いや、塩山さんの民間人としての政治の感想もお訊きしたかったんですよ」
あとで分かったのだが、総理が私を残した真意は実はこの点で、巨額の債務で喘(あえ)ぐ我が国の財政思考、主計と民間経理の思考の違いを、経営者の末席を汚(けが)していた私に訊ねたかったとのことであった。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百八十七回
三人の話は久しぶりだったこともあり、大いに盛り上がって幕引きとなった。玉は元気そうに、…元気そうという表現も妙なのだが、とりあえずは以前と変わらぬ姿で酒棚に、どっしり構えており、ひとまず私は安堵したのだった。二人に名刺を手渡し、東京に来た折りにはマンションへ寄ってくれるように一応の日本人的招待をして私は店を出た。
一日ゆっくり骨を伸ばし、次の日の夕刻、私は東京へUターンした。慌(あわただ)しいスケジュールに、芸能界の大変さが少し分かった気がした。戻った翌日は政府閣僚会議がセットされており、帰省する前に成立をみた食糧安定化法にかかる規則、政令と、国連で議決成立した地球語の学習指導要領への必修単位としての配分化の策定書類が目通しされ、議題となった。ニ議題とも私が関与した省庁の事案であり、私抜きでは成立しない会議だった。難しい話になるから端折(はしょ)るが、全閣僚に了承されて閣議決定し、私の顔が立ったことだけは述べておきたい。
「いやあ…塩山さん、ご苦労様でした。これで私の懸案は、ひとまず実現したようです。今後は、少しのんびりと…と、いきたいものですな。ははは…、そうは参りませんが…」
首相官邸を出る前、小菅(こすが)総理に声をかけられ、他の閣僚が帰る中、私と官房長官の煮付(につけ)先輩だけがそのまましばらく残り、語り合った。総理は、私と先輩の馴れ初(そ)めや民間人としての立場の私に意見を聞きたかった、とのことであった。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百八十六回
「でもさあ、少しビミョーなのよねえ~」
「えっ? 何がです?」
「だってさあ、沼澤さんが云ってらしたのは、棚に水晶玉を置けば、いいことが起こるってことだったじゃないの」
「ええ、そうです。だから、ママも宝くじが当たって旅行にも行けたんでしょ?」
「まあ、そうだけどさあ~。今はねえ、早希ちゃん」
「はい…。ほんと、鳴かず飛ばすだし。返って、お客の入り、よくないんじゃないですか?」
「そうよねえ~。早希ちゃんだって、この様(ザマ)だし…」
「はあ…。そりゃまあ、そういうことだってあるでしょう。だって沼澤さん、こうも云ってやしませんでした?」
「えっ? どうよお~」
「信じる者は玉もよく承知している…とかなんとか」
「だから、どうだって云うの? まあさ、早希ちゃんはともかくとして、私は信じてるわよ」
「でもママ、以前に比べりゃ、どうです?」
「以前って、沼澤さんがいらした頃とか?」
「ええ…」
「…そう云われりゃねえ、まあ少しは…」
「だからですよ、きっと。玉は、すべてが分かると云いましたから、ママの気持のダウンが幸運をダウンさせたんじゃないですか?」
「…、満ちゃんにそう云われると、そうかも、って思えてきちゃう。まあ、いやだ!」
ママは、オホホ…と笑って科(しな)を作った。そのあと、ツマミに牡蠣(かき)のガーリックオイル焼きがでた。
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第ニ百八十五回
「いつもので、いいわよね?」
「はい…」
「ゆっくりしていけるの? 今回」
ママが水割りを作りながら、それとなく訊(たず)ねた。早希ちゃんはカウンター側へ回って私の隣へ座った。
「えっ? ああ…そうもしてられないんですよ。二日ほどで帰ります。って云うか、帰らねばならないんです。帰らないと偉いことになりますから…」
「ふ~ん、そうなの? 大変なのねえ、国のお仕事は…。会社なら、なんとでもなってたわよねえ~」
「ええ…、それはまあ」
その時、携帯を弄(いじく)っ画面を見ていた早希ちゃんが、大きな溜息をつきながら云った。
「ダメだわぁ~。ママ、全然ダメ!」
「だから云ったでしょ。そんなボロい話なんて、ある訳ないんだから」
「何かあったんですか?」
「満ちゃんからも云ってやってよ。この子、本当に懲(こ)りないんだから…。この前もコレで損したのよ~」
ママがそれとなくカウンターへ置いたのは、出来た水割りのグラスと新聞の株式欄だった。
「ほう…、早希ちゃん、一攫千金(いっかくせんきん)はまだ諦(あきら)めちゃいないんだな?」
「そらそうよ。私は、それが生き甲斐なんだから」
「でもな。今、ママが云ったとおり、少しは懲りんとなあ。土壺(どつぼ)に嵌(はま)るぞ、そのうち」
私はお灸(きゅう)をすえるつもりで、少し驚(おどろ)かした。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百八十四回
「ママ、電話したのが正解!」
「そうね。私だけじゃ、来てくれたかどうかっ、フフッ」
私がみかんのドアを開け、中へ入ると、二人は、こんな会話を交わしながら私を迎えた。カウンターへ近づくと、ママの電話どおり沼澤氏が置いていった水晶玉は、以前と少しも変わらず、酒棚に飾られて存在した。久々に店へ入ったにもかかわらず、どういう訳か懐かしい…という感覚が少しも私には湧かなかった。よく考えれば、私は、この玉が送った霊力のお告げと時折り交信していたのだ。だから…とは思うが、結果として離れていてもみかんには時折り来ていたようなものだったのだ。それか、懐かしく思わせなかった理由だろう。
「その後、東京はどお?」
「どお、と云われても…。眠気よりは賑(にぎ)やかです」
「そりゃ、そうでしょうけど…」
ママに訊(たず)ねられ、私は深慮もなくつまらない言葉を口走っていた。
「あっ! どうも、すみません。そういう意味じゃなく、眠気のような静けさがない落ちつかない街だ、ということです」
冷や汗ものであった。オネエのママだけは旋毛(つむじ)をまげられたくなかった。剃り残した顎髭(あごひげ)の化粧顔で、嫌味を云われたくはない。

第ニ百八十三回
「それは大したもんだ。すごいじゃないですか。羨(うらや)ましいかぎりですなあ…」
「えっ? この話、信じて下さるんですか?」
「そらもう…。私と塩山さんの仲じゃないですか。まるっきりの出鱈目を云われる訳がないと信じとりますから」
「そうですか? そりゃ、私としても有難いですし、お話しし易(やす)いですが…」
「はい。監視室の時のように、何でも話して下すって結構ですから…。ご相談にも乗りますし…」
「そのときは、よろしくお願いいたします」
禿山(はげやま)さんのプライドを傷つけないよう、私は下手に出た。そしてその後、二、三時間だろうか。互いの雑事などを語り合い、私は禿山さんの家を退去した。帰りぎわに、「この歳で弓道を始めましてなあ。ははは…」と愉快そうに笑い飛ばされた禿山さんを見て、私より元気だ…と思えた。車に乗り込んだ私は、その足でA・N・Lへとハンドルを切った。みかんの開店までは、しっかりと三時間はあり、食事方々、時間を潰(つぶ)すには、丁度いい…と直感で思え、即決した結果である。まあ、今までの私が、いつもやっていたことを、ただやった、というそれだけのことなのだが…。ただひとつ、マイカーが長い間、乗らなかったせいでバッテリーが上がりぎみだったことである。その代償として、冷や汗もののドライブを余儀なくされたことを憶えている。

第ニ百八十二回
「でしょ? やっぱり、かかってきた…」
携帯を切ると、禿山(はげやま)さんはニタリ! と小笑いして、そう云った。
「ええ…、それにしても怖いですね。で、このあとの私はどうなるんでしょう?」
「いや、そんな先までの夢じゃあないんですよ。ただ、ここへ来られてお帰りになるまでの夢なんですから…」
「いやあ、それにしても正夢とは怖いじゃありませんか…。恐らく、沼澤さんが置いてかれた水晶玉の霊力によるものかと思われます」
「霊力ですか…」
「ええ、霊力です。禿山さん、馬鹿にせず聞いて下さいよ。今や私も、その霊力者の一人なんです。まあ、霊術師の沼澤さんのような上級じゃないんですがね」
「えっ! 塩山さんが、ですか? そりゃ、すごいじゃないですか。で、どんなことが?」
「ははは…、云うほどの大したこっちゃないんですが、今のところは…」
「もったいぶらないで云って下さいよ」
「分かりました。…笑わないで下さいよ。お告げのことは、いつやらもお話ししてましたが、こちらからコンタクトをとれるようになったんですよ」
「お告げを呼び出せる、ってことですか?」
「ええ、お恥かしいんですが、まあ、そんなところです」
私はドヤ顔ではなく、謙遜して自重ぎみに云った。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百八十一回
「それで、なにか用なの? 今、禿山(はげやま)さん家(ち)にいるんだけどなあ~。あっ! 早希ちゃん、知らなかったか、禿山さん」
「知らないわよお~。誰よ、その禿なんとか云う人…」
「ははは…、禿なんとかじゃなく、禿山さんだ」
私は思わず笑えてきたが、目の前の禿山さんを見て、失礼だな…と急遽(きゅうきょ)、真顔に戻した。当の禿山さんはニコニコと、なに食わぬ顔で携帯の会話を聞いているのだった。
「禿山さん? …まあ、誰でもいいけどさあ、…ママがね、また寄ってね、って」
「なんだ、それだけのことか…。いやあ、今さ、副大臣や政務官に任せてこっちへ帰ってんだけどな。急用が出来たんで戻れ! かと思ったよ」
「そう…。今、東京じゃなかったのか、満ちゃん」
「ああ…、数日だけだけどさあ、重要なのが片づいて、切りがついたんでな」
「ふ~ん。だったら、また寄ってよ。水晶玉のことも話したいしさ」
「水晶玉って、酒棚のあの玉か?」
「ええ…」
「沼澤さん、そのままにしてたんだ…」
「そうなの。店に寄られなくなってさ、髄分、経つんだけどね、そのままなのよ~」
「沼澤さんが店に現れなくなったことはママから聞いたけどな。そうか…、そのまま棚にあるんだ」
私は一度、様子を見に、店へ寄ってみるか…と、思った。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百八十回
「えっ? どういうことでしょう?」
「どういうことかは、私の方がお訊(き)きしたいくらいなんですよ。みかんを知らない私が、店の内部やママさん達の名や顔まで分かるんです」
「…それって、怖い話ですよ」
「ええ、怖い話です。私自身、怖いんです。しかしですな、どうしようもありません…」
「それって、突然そうなられたんですか?」
「はい、ふと。目覚めたある日の朝からなんですがな」
「ウ~ン! それは怖い…」
「はあ、元警備総長の私でも怖いですな」
「ママと話してたんですが、サスペンスじゃないスリラーの怖さですね」
「ええ…」
その時、急に私の携帯がなった。バイブにしておかなかったから、ギクッとしたが、禿山(はげやま)さんが云ったとおりなのだ。禿山さんは私が携帯をバイブにしておかなかったことなど知る由(よし)もなかった。だから、余計に怖かった。携帯に出ると、やはりママだった。これはもう、大玉様の霊力によるもの…と思う以外、説明がつかない事態だった。
「お邪魔だとは思ったけどさあ、ママに云われたから、かけたわ」
「やっぱり、早希ちゃんか…」
「やっぱりって? 変な満ちゃん」
早希ちゃんは事情をまったく知らないから、怪訝(けげん)な声をだした。
あんたはすごい! 水本爽涼
第ニ百七十九回
国会が閉会すると、大臣としての様々な所用はあるものの、議会に関しては、まるで学校の夏休みである。いや、議員ではない民間人の私だから云えることで、議員の皆さんは地元の後援会やら何やらで多忙の日々は続くのだが…。まあそんなことで、年末前に閉会した国会は、幸いにも重要法案が軒並み成立し、小菅(こすが)ブームは益々、増幅する勢いを見せていた。社会論調では政府批判の多いメディアでさえ、このブームにはお手上げで、やんやの喝采(かっさい)を送って報道した。小菅総理の施策が、ことごとく成功して軌道に乗ったことも、このブームを助長する一因だった。そんな中、久しぶりに眠気(ねむけ)へ戻った私は、禿山(はげやま)さんの顔を見ようと自宅を訪れた。禿山さんは至って元気そうで、以前と少しも変わらない丸禿頭を照からせて私を迎えてくれた。
「昨晩、妙な夢を見ましてな。やはり、正夢でした。塩山さんが来られる夢なんですが、この今と、まったく同じ夢で、夢のとおりですと、あと数分ほどで塩山さんの携帯が鳴り、みかんの早希さんから電話があるはずです」
「早希ちゃんからですか? …それにしても禿山さん、よく早希ちゃんの名を知っておられましたね。お話ししましたっけ?」
「いいえ、一面識もなく聞いてもいないのですが、どういう訳か知っておるのです」