大正区・千島の一帯です。
大正時代には、貯木場や製材工場が建設され、木材工業の街を形成していたそうです。
しかし、地盤沈下の影響で貯木場の機能が低下したこともあり、貯木場や製材工場は、1960年代に住之江区・平林に移転しました。
そこで、大阪市は1969年、貯木場跡地に「港の見える丘」として人工山を中心とした公園を造成する「千島計画」を発表したと言います。
大阪万博を控えて大阪市営地下鉄の路線整備が急速に進んでいた時期で、地下鉄建設工事で出た残土・約170万m3を使用して山が建設され、1970年11月30日に、この山を「昭和山」と命名しました。
その後、山の周囲・約11.2haを整備し、1976年4月1日に千島公園が開園したと言う事です。
マップです。
昭和山の麓です。
登って行きます。
山頂部からの眺めです。
西側には、千歳橋と、その向こうに港大橋が見えます。
南側には、金剛の山並みが見えます。
山頂部です。
ここには、山野に見られる野草が植えてあるそうです。
昭和山の林床は、落ち葉で一杯です。
ちなみに、昭和山(33m)は建設当時、大阪市では最も標高が高い場所となっていましたが、その後鶴見緑地内に鶴見新山が建設されたことで、大阪市内最高峰は鶴見新山に譲り、昭和山は大阪市で2番目に標高が高い場所となっているそうです。
大正時代には、貯木場や製材工場が建設され、木材工業の街を形成していたそうです。
しかし、地盤沈下の影響で貯木場の機能が低下したこともあり、貯木場や製材工場は、1960年代に住之江区・平林に移転しました。
そこで、大阪市は1969年、貯木場跡地に「港の見える丘」として人工山を中心とした公園を造成する「千島計画」を発表したと言います。
大阪万博を控えて大阪市営地下鉄の路線整備が急速に進んでいた時期で、地下鉄建設工事で出た残土・約170万m3を使用して山が建設され、1970年11月30日に、この山を「昭和山」と命名しました。
その後、山の周囲・約11.2haを整備し、1976年4月1日に千島公園が開園したと言う事です。
マップです。
昭和山の麓です。
登って行きます。
山頂部からの眺めです。
西側には、千歳橋と、その向こうに港大橋が見えます。
南側には、金剛の山並みが見えます。
山頂部です。
ここには、山野に見られる野草が植えてあるそうです。
昭和山の林床は、落ち葉で一杯です。
ちなみに、昭和山(33m)は建設当時、大阪市では最も標高が高い場所となっていましたが、その後鶴見緑地内に鶴見新山が建設されたことで、大阪市内最高峰は鶴見新山に譲り、昭和山は大阪市で2番目に標高が高い場所となっているそうです。
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