生物見遊散歩

「生物」を「見」て「遊」ぶ「散歩」を「(生)物見遊散(歩)」と呼んで、「自然観察」を楽しんで行こう。

近隣の紹介(日部神社)

2016年01月31日 | 日記
更新が滞っていました。
目が疲れやすくなって、画像の処理等がしんどくなって来ました。

今日は、日部神社です。
最寄り駅のJR鳳駅から1.5kmほど南にあります。
入口の鳥居です。

拝殿です。

日部神社
・この地を原籍とする日下部氏の祖彦坐命を祭神とする延喜式内社です。
・神武天皇も祭神で、これは「記紀」に日下で神武天皇が長髄彦と戦った伝承によるそうです。更に当神社は神武天皇御東征の砌(みぎわ)上陸された日下の蓼津は此の地なりと古事記伝に記されていると言います。
・現社地は明治末期に北へ300m程遷座していると言います。旧地の1km程東南東に等乃伎神社(1/19に掲載)が鎮座しており、等乃伎神社、日部神社、金剛山頂は一直線に並び、冬至の日の出線だそうです。

本殿は南北朝時代の建築で国の重要文化財に指定されています。

石灯籠も銘文から1369年に作られた事が分かるそうで、同じく国の重要文化財に指定されています。


結構、すごいですね。
また、神話の時代には太陽信仰に関わるお話が多い様に思います。
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浜寺公園

2016年01月28日 | 日記
浜寺公園は、鳳大社から西に真っ直ぐに行くと到着します。
面白い事に、家原寺、鳳大社、浜寺公園は東西に一直線に位置しており、太陽の道とも言う様です。

南海電鉄の浜寺公園駅舎です。
・明治40年(1907年)に、日本の近代建築の草分けとされる東京帝国大学工科大の辰野金吾学長、片岡安博士が所属する建築事務所の設計により立てられた木造洋風建築物です。
・私鉄最古級の歴史ある明治の駅として親しまれています。平成10年に国の登録有形文化財になっています。

浜寺公園の入口付近です。
クロガネモチの樹の向こうが浜寺公園の駅舎がある処です。

クロマツの林が立派です。

公園の広さは75haもあります。
クロマツはざっと、5500本と言います。

クロマツの林の由来です。
・クロマツの立派な林がある浜寺公園は、18世紀初頭に和泉国大鳥郡の5ヶ村の住民らが、防潮のために植えたものが原型となっているそうです。
・これら5ヶ村は、その後1747年から田安家領となり、1868年(明治元年)に田安家がこの松林を伐採して新田開発を計画し、色々あった後の1873年(明治6年)に当地を訪れた大久保利通が、約850本にまで減少してしまった姿を嘆いて堺県令に働きかけ、伐採停止が通達されたと言います。そして、その年の12月に日本最古の公立公園として開園します。

松毬が見えます。
大きくて、落ちて来ると危ない感じです。

松毬のアップです。

林は管理されています。
切り株がありました。
年輪を確認すると40数本ありました。

世代交代は人の手で行われています。

本来、海岸は砂浜で陸地の林までの中ほどには湿地が広がるのが自然の姿だと言います。
そう言う意味では、綺麗なクロマツ林も、砂浜に強引に人の目的で造られたものと言う事になります。
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黒姫山古墳

2016年01月26日 | 日記
今日は歴史の方です。
昨年は、竹之内街道の事を何度か載せました。堺から奈良に向かう、日本最古の街道(官道)です。
その街道の南側に当たります。
黒姫山古墳は、百舌鳥と古市の2大古墳群の中間の位置にあります。5世紀中頃に作られたようです。

百舌鳥古墳群については、昨年2/16に触れました。仁徳天皇陵が含まれます。古市古墳群については、昨年2/17、2/22、3/1に触れました。応神天皇稜が含まれます。4世紀後半から6世紀前半にかけての約180年間に造られそうです。

黒姫山古墳の近くには、歴史の広場と言うガイダンス施設があります。申し出ると解説動画を見せて頂けました。
広場には、石室と埴輪の復元した物を展示しています。

黒姫山古墳は、この地に勢力を張った丹比氏が造ったものと考えられているそうです。
ヒドラツツジの生垣は、周庭帯(古墳をりっぱに見せる外濠)の位置を示しています。

前方部の復元場所に、葺き石と埴輪が見られます。

近くには、みはら歴史博物館もあります。

黒姫山古墳から多数発掘された鉄の甲冑などが展示されています。丹比氏は軍事を司る氏族だった様です。

黒姫山の復元模型も展示されています。

丹比神社です。
黒姫山古墳の500m位東にある神社です。延喜式内社です。この地に勢力を張った丹比氏とのつながりが感じられます。

反正天皇がお生まれになった時に、この井戸の水を産湯に使われたと語り伝えられていると言います。

歴史や神話とのつながりが、見えてきます。
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ヨコヅナサシガメ

2016年01月25日 | 日記
菰池公園のケヤキの木に、ずっと棲み付いています。
これも、昨年の編集版です。

夏から小さい幼虫が見られ、冬は集団で越冬します。
8/17掲載の小さい幼虫です。
9/27掲載意の幼虫の脱皮です。
12/13掲載の集団越冬です。
段々と大きくなって来ます。

集団越冬を越えて、成長して行きます。
1/18掲載の集団越冬です。
3/28掲載の幼虫です。
4/14掲載の幼虫です。

4/30掲載は、成虫への羽化です。
赤いのは、羽化途中から直後です。
最終は、光沢のある黒色で、腹部側面が広く張り出し、張り出した部分が黒白の縞模様になった大きなカメムシに成ります。

肉食性で、他の昆虫を捕らえ、口吻を突き刺して体液を吸います。
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熊野街道(大阪市内)

2016年01月24日 | 日記
1/15に自宅近辺の熊野街道の紹介をしました。
今日は、それとつながります。
大阪市内は、勤務地です。機会があれば、中之島からこの辺も歩きます。
熊野街道の陸路の出発点は、大川の天満橋あたりだったそうです。
大阪市内の大川沿いの景観です。

この対岸が渡辺の津と呼ばれていたそうで、今では、このような常夜灯がモニュメントとして設えられています。

もう一つあります。後ろにOMMが見えます。

江戸時代の、この辺りの様子の絵です。

熊野街道の地図も、示されていました。
大阪湾沿いの●が沢山ある道が熊野街道です。

谷町筋が、熊野街道に当たる様です。
南に下って行くと、四天王寺に出ます。
四天王寺の近辺の谷町筋には、こんな表示があります。

四天王寺の入口の鳥居です。
春分、秋分には夕暮れ時に、太陽が丁度この鳥居の中心にかかるそうです。

境内です。
手前が石舞台で、奥が六時堂です。

太子殿です。太子とは、もちろん聖徳太子です。

仁王門です。
後ろは五重の塔ですが、現在改修中です。

境内の案内図です。
四天王寺は、摂政皇太子となられた聖徳太子が、593年に最初に立てられたお寺です。

こんな木が植えられているのも紹介しておきます。
梶の木で、平安時代後期の紙の原料だった様です。

熊野街道は、この後、住吉大社(昨年7/2に紹介)を通り、堺に至ります。
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