このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

この世に偶然なるものはなにもない(前編)

2020年10月11日 | 人生
(分別知による判断をせず、心を止めてみる)
この世には偶然(ぐうぜん)なるものは何もないのです。それを知ってください。
また、すべての問題が、会社の仕事のようなかたちで解決するわけではありません。その問題を受け入れたときに、実は、その先に道が開けてくるのです。

みなさんは、「なぜ、私に、こういう現象が起きたのか」と思うかもしれません。「自分はこれほど勉強したのに」「自分は、これほど家族を大事にしていたのに」「自分は、これほど親孝行(おやこうこう)をしたのに」「自分は、これほど美しいのに」などと思うことは、いろいろあるでしょう。

しかし、それを静かに受け入れてみてほしいのです。
そして、瞑想(めいそう)の時を持ってみてください。あれこれと分別知(ふんべつち)で考えるのではなく、心を止めてみてください。

「善か悪か」「プラスかマイナスか」「前か後ろか」「右か左か」など、分別知によって考え、「結論を出そう」として焦(あせ)る心が、実は、自分を苦しめているのです。

そのときには、まず一切を受け入れてください。判断を下さずに、「今、ここに、自分に対して宇宙の意志が現れているのだ」と考えてください。

過ぎてしまえば、その意味が分かってきます。この世に生きているうちに分かることもあれば、この世を去った世界に還(かえ)ってから分かることもあります。その時期については何とも言えませんが、「一切を受け入れることも、人生における勉強の一つなのだ」ということを知ってください。

(心静かに瞑想し、「大宇宙の意志」を感じ取る)
人は病気をするものですが、実は、病気をすることによって学ぶことは数多くあります。
例えば、それは、「心と肉体のバランスが崩れている」「自分の能力を過信している」「家族との関係を見直すべきである」などということを教えているのかもしれません。

あるいは、父親や母親を憎(にく)んでいた人が、病気をしたときに、「ああ、親は、こんな気持ちだったのか」と分かることもあります。また、他人の気持ちが理解できたり、自分の仕事について別の目で見ることができたりもします。

このように、自分にとって必要な場合があるので、病気になることも全部が悪とは言えないのです。
したがって、今現れている問題を、単に、「何かのミスによって生じたことだ」と考え、自分を責めたり他人を責めたりすることをいったんやめて、それを受け入れてください。「今の自分に必要があって現れている問題なのだ」というように受け入れることが大事です。

そして、心静かに瞑想してください。判断は中止してください。判断してはいけません。そのときに、「善か悪か」「前進か後退か」「捨(す)てるか取るか」といった判断をしないでください。

今のあなたに必要があって現れてきたものなのですから、それを静かに受け止めてください。

大宇宙の意志が働いて、今のあなたに必要な課題を与えてくださっているわけなので、その意味を静かに受け取ることが大事です。あなたの今世(こんぜ)の魂(たましい)修行(しゅぎょう)に必要な内容が、そのなかに必ず含(ふく)まれているはずです。

繰り返しますが、「自己防衛の考えで、すべてを解決しよう」「会社の仕事のようなかたちで解決しよう」などとは思わず、逆に受け入れることです。そして、そのなかに、大宇宙の意志を、あるいは、神の心、仏の心を感じ取ってください。

---owari---
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