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競争社会をどう見るか(後編・上)

2023年09月21日 | 人生
(宗教はストレス社会の中和剤)
いまは、毎年毎年、鬱病患者、ないしは、その予備軍のような人が、どんどん生み出される世の中になっていると思います。

これについては、宗教は中和剤として働いている部分もあります。
宗教では、「この世の世界の基準や競争とは別の世界が、もう一つある」という考え方をします。

この世は、「この世界がすべてだ」と思う人にとっては、生き地獄かもしれないし、蟻地獄かもしれません。しかし、「この世界がすべてではない」と思っている人から見れば、「この世界だけの勝ち負けは、相撲の土俵の上での勝ち負け程度のものであって、土俵の外は、いろいろあるのですよ」ということになります。

宗教はそういうところをつくっているのです。「土俵の外があり、そこに出てみると、土俵の上とは違うものがあるのです。人それぞれ、幸福感も違うし、偉さもまた別なものがあり、生きがいだって別のものがあるのですよ」ということを、宗教は教えるわけです。

その意味で、高度なストレス社会においては、宗教の果たすべき役割は大きいのです。
自分自身をいじめている人のなかには、「他の人から客観的に見れば、ほめられることであっても、本人にはストレスになって鬱になる」という人もいれば、「実際に、客観的に敗北して、あるいは何か失敗をして、それで鬱になる」という人もいます。

たとえば、相場商品を扱う人であれば、ほとんどの人が、胃に穴が空いたり、十二指腸潰瘍になったりします。そういうところで、「当たった」「外れた」というようなことをやっている人にとっては、永遠の成功の世界は、なかなか訪れません。そのように、「少し勝ち越すだけで精一杯」というところで生きている人もいるのです。

通常の人は、自分がそういう特殊な環境や立場にないということだけでも、ほんとうは幸福なのですが、それがなかなか分かりません。それで、苦しんでしまうのです。

退屈であれば、退屈であることで苦しみ、忙しすぎれば、忙しすぎることで苦しみ、昇進すると、昇進したことで苦しみ、昇進が遅れると、昇進が遅れたことで苦しみ、お金が増えれば、お金が増えたことで、それなりに、また別の苦しみが生まれます。

奥さんをもらえなくても苦しみ、よすぎる奥さんをもらって苦しみ、悪い奥さんをもらっても苦しみ、子供が生まれなくても苦しみ、子供の出来がよくても苦しみ、子供の出来が悪くても苦しみます。

世の中には、ほんとうに苦しみの種は尽きません。幾らでもあります。この苦しみの種を消すことができるかというと、やはり、できないのです。

---owari---
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