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日本だからこその多様な文化と思想

2017年11月10日 | 日本

日本ほど自由に多様な文化、思想が花開いた国はない。そして欧米よりもずっと深い。こんなことを言うと、日本人は慎み深いのでとても驚くが、しかし論理的に詰めていくとそうなる。

 

なぜ日本のほうが深いのか。評論家・谷沢永一さんの「世界文明を三種と見るの説」を採用すれば次のようになる。

 

思想はどこから生まれてくるか。思想はまず孔子の教え、仏教の教え、イエス・キリストの教えなどの聖典があって、それをあとに続く人たちが議論する。やがていろいろな分派ができる。論争しているうちに新たな思想が生まれてくる。

 

すなわち、思想は聖典とされるものを多数の後進が討論するところから生まれる。お釈迦様のあと、弟子が何百年間もああでもないこうでもないと議論をした。孔子のあと、弟子たちがいろいろと議論をした。キリスト教もまたしかり。いろんな分派ができて、たくさんお互いに議論し勢力争いをしたから、社会思想というのがそこに生まれた。

 

――と考えると、そこには後輩が先哲を討議する自由がなければいけない。つまり、マルクス・レーニン主義とか毛沢東思想と祭り上げられてしまったら、後輩は議論できない。そういうとき思想は生まれない。だから、ソ連と中国にはイデオロギーはあるが思想はない。イデオロギーというのは断定で、反対する人は追放するか殺してしまうのだから、そこでは思想が生まれない。

 

ヨーロッパでは宗教改革以後、カトリックやそれと結んだ王権の弾圧をかいくぐりながら、新教徒は聖書討議の自由を勝ち取った。それまでは、聖書の解釈権はカトリック教会が握っていて、教会は「聖書は読むな。読むと間違った解釈をするから、神父さんの話を聞いて頭を下げていなさい」と教えた。それが確立すると、やがて神父が腐敗、堕落して悪いことをするようになる。

 

それで民衆が腹を立てて宗教改革をしたが、平たく言えば、それは聖書を自分で読もうという、神との直結運動である。自分で読むためにはラテン語の聖書では不便でしかたがないから、ドイツ語や英語に翻訳する。印刷して配ったら、カトリック教会は威張っていられなくなった。それを宗教改革というが、そうしてみんなが勝手に聖書を解釈するようになったおかげで、ヨーロッパに初めて思想が生まれた・・・・・、だがわずか500年しか経っていない。

 

アメリカには聖典としては今までのところキリスト教の聖書しかない。建国からはまだ240年で、後輩が先哲を討議する自由という意味では100年ぐらいの歴史しかない。

 

日本はその点、聖徳太子のころから、インド、中国、ヨーロッパの聖典を全部勉強することができた。そしてそれを吟味する自由があった。外国の聖典だからと祭り上げなくても良かった。日本人は主体性をもって吟味し、選択して採用するという行為を1400年以上も積み重ねてきた。そのため日本の思想は内容が豊富で、かつ質的にも最高に発達している。

 

たとえば聖徳太子はインドの仏教を知っていた。それで『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』という解釈書を著している。それから中国の儒教も知っている。道教も知っている。キリスト教についても景教(キリスト教の一派でネクトリウス派)という形で知っていた。

 

全部知っていて、かつその時の日本には批判の自由があった。みんなで批判して良いところだけをとって、それを神道の上にのせて、日本精神を創った。

 

それが「十七条憲法」である。

 

以前にもふれたが、おもしろいことにこの十七条憲法はまだ廃止されていない。明治憲法をつくった時に廃止しなかったから、今でも十七条憲法は有効である。国家公務員をしている人が読んだら、「いいことが書いてある。我々はこのとおりやろうと心がけている。ただ、実行しない人がいて、彼らが新聞を賑わしてしまう」と言っている。要するに今日でも通ずるレベルの高い内容なのだ。

 

そして日本人はそういうものを、中国のようにすぐ破棄せず、伝統として大切に持ち続けた。だからさまざまな思想が、より幅広くより深く堆積している。

 

逆に中国や韓国では、新政権が誕生すると、旧政権がしたことを全否定するので「歴史に学ぶ」ということがない。その結果、政治も人物も深みがないものになる。

 

中国では中国の歴史や思想や文化を学ぶ際、大学の教授や高級官僚といえども、彼らには雑学を仕入れる余裕と興味がない。第一、書体を変えたから古い本が読めない。第二に、共産党批判になる恐れがある。

 

自分の考えを持つのは危険だから、持たないように暮らしていると結局残るのは拝金思想ばかりになる。そうなるのは、精神がない人たちではないが、自分の考えは持ちたくても持てない国だからだと思うである。

 

*皆さまのおかげで私のつたないブログも3年目に入ることができました。その間、多くの皆さんに励ましのコメントをいただき、有難うございました。感謝いたします。これからもご愛読よろしくお願いします。今後のブログ投稿はランダムな投稿となりますので、ご了承ください。できるだけ奇数日投稿を目指したいと思っておりますが、ご理解願います。

 

---owari---

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