このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

明石家さんまさんの人生哲学(前編)

2017年02月05日 | 人生

明石家さんまさんの底抜けに明るい性格やトークの面白さゆえに、能天気に笑ってばかりいるようなイメージを持つ人が多いと思います。

 

しかし、ファンを大事にし、誰にでもやさしく接し、プライベートでファンからサービスを求められれば、出来るだけ期待に応えてサービスをするというのは有名なお話です。

 

そんなさんまさんですが、お笑いに関しては自分にも他人にもとことん厳しいと言われています。お笑いのプロであるさんまさんは、基本的に人を明るくさせ、笑わせ、人を元気にさせることをもっとも大切にされているように感じます。

 

しかし、そんなさんまさんの波乱万丈の半生はあまり知られていないのです。

さんまさんの実の母親は、3歳の時に病気で亡くなっています。数年後、父が再婚した時、歳の離れた連れ子の弟ができました。

 

継母には気を遣いながらも辛い言葉を何度も浴びせられたそうです。継母がお酒を飲みながら、「うちの子はこの子(弟)だけや...」と言った言葉を聞いて、弟と2人でよく泣いていたそうです。その言葉がどんなに辛いものなのか、想像するだけで心が痛くなります。そのためなのか、さんまさんは今でもお酒を飲む女の人が苦手だというのです。

 

弟とは仲良くやっていましたが、そんな弟も19歳のとき(さんまさんは27歳)、実家の火事が原因で突然に亡くなりました。さんまさんいわく「僕のことを昔から尊敬してくれるやつでね。僕がいうことは全て正しいと思っていたみたいですよ。自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけ出せるやつでした。

 

僕もサッカーはやっていたけど、チビ(弟)の方がすごいんですよ。サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしね...。去年の10月、大阪の僕のマンションに遊びに来たとき、今度のワールドカップを二人で一緒に見に行こう。切符は僕が買っとくからって約束しとったのに...まだ納得出来ません、チビが死んだなんて...」と弟の死を嘆くさんまさんでした。

 

血のつながっていない弟さんですが、兄であるさんまさんをしたい、尊敬していたさんまさんを死の危険から護ったと私が感じた事故があります。それが、弟さんが亡くなってから3年後に起きた「日本航空123便墜落事故」です。

 

この事故は、1985年に単独機では世界最大の犠牲者を出した航空機事故で、乗員乗客524名のうち死亡者520名という大惨事でした。この事故で、歌手の坂本九さんをはじめ、数多くの著名人が亡くなったのです。

 

実は、さんまさんは、その日本航空123便墜落事故で死んでいたはずだったというのです。さんまさんは当日、東京のフジテレビで「オレたちひょうきん族」の収録後、この墜落した飛行機で大阪へ移動し、毎日放送「ヤングタウン」に出演予定だったのです。

 

でも、たまたま「ひょうきん族」の収録が予定よりも早く終わったために、123便をキャンセルし、少し早いANA35便に搭乗して難を逃れたのでした。さんまさんは事故当日の生放送のラジオレギュラー番組でこの事故を知り、言葉を失ったそうです。

 

番組はほぼ事故の報道に終始。ようやく登場したさんまさんは「遺族のお気持ちを考えると、ちょっとお笑いトークはできませんね。しかも、日航123便は、この『ヤングタウン』に出演するための移動手段として、私もよく利用していたんですよ。今日も123便を利用する予定でした。身体がずっと震えています。もしかしたら、私も死ぬところだったかもしれない」と語り、その後、番組はこの事故の報道特番に切り替えられました。

 

さんまさんは、この事故をきっかけに、新幹線で行ける所へは飛行機ではなく新幹線を利用することにしたというのです。

 

本来ならば、さんまさんは日航機事故で亡くなっていたのかもしれない。そう考えることで、もう一度生かされた人生を最高に楽しみ、周りの人びとを笑顔にすることが、自分に与えられた使命であるという心境に達したのではないでしょうか。

 

それでは、さんまさんの生き方やお笑いに関する信念などについて、エピソードをご紹介します。

 

➀ヤンキーに「お、さんまやんか」と絡まれて、尻を蹴られた時の話です。振り返って『ナイスキック』と言い、そのまま歩き去った。「まあ、相手は中学生やったしな。もし、殴ったら半年休まなきゃあかんのんで」と言い放ったのです。

 

②インタビューの質問に、さんまさんが答えた。「1つだけ願い事が叶うとしたら、何をお願いしますか?」に対し、「願い事がなくなりますように」。

 

③成績で悩む生徒に対して、さんまさんのコメント「満点は星空だけで良い」。

 

④さんまさんの素晴らしきファン対応

31年前、千円札に書いた「さんまさんへのラブレター」が、さんまさん本人に届いた奇跡のラブストーリー があります。当時、まだ15歳だった女性が巡り巡ってさんまさんに届くことを祈って千円札にメッセージを書きました「さんまさん!いつかあなたの手にとどくことをねがってます。大好きです」そこでまず最初の奇跡が起こります。この千円札、当時30歳だったさんまさんの手に渡っていたのです。以来、お財布の中にこの千円札をずっと忍ばせていたさんまさん。

 

何回かテレビなどでこのことを伝えるも手紙の主は現れず時間だけが経っていきました。しかし、その後、看護師となったこの女性が最近になってさんまさんがこのラブレターを持っていることを知り、さんまさんとテレビで対面することになったのです。様々な奇跡が重なりやっと大好きだったさんまさんに会えたのです。この素敵なエピソードに視聴者からも「女性がさんまさんと会えて私も感動した」、「最高に素敵!」、「さんまさんって凄い!」と沢山の反響を呼んだのでした。

 

見方によっては、お札への落書き、笑いのネタ、とゲスな勘ぐりもしそうですが、ファン一人ひとりを大事にするさんまさんだからこそ、この1枚の千円札を大切にとっておいたんですよね。そして、それをテレビで伝えてくれていた優しさ、会ってこの願いを完結させるさんまさんは凄い、と感じました。素敵です。

 

⑤さんまさんと大竹しのぶさんの娘であり、モデル・タレント・歌手として活躍するIMALU(イマル)さんの名前の由来です。さんまさんの座右の銘「生きているだけでまるもうけ」と大竹しのぶさんの「今を生きる」から命名されたと言われています。

 

もう一つ理由があります。

1.IMALU(イマル)さん

2. 二千翔(にちか)さん・・・しのぶさんの連れ子さん(大竹二千翔さん)

3.さんまさん

4.しのぶさん

これで家族が一つだよっという意味もあるそうです。本当によく考えられていますね。

 

さんまさんと大竹しのぶさんは離婚から、すでに20年以上が経っていますが、今でも家族として会っておられます。2年前にNHKの「あさイチ」に出演された大竹しのぶさんはその家族写真を公開されました。実に楽しそうな雰囲気で、離婚が嘘のようです。別の番組で共演された木村拓哉さんは、「実際は偽装離婚なんでしょ?」と聞いたと伝わっています。その気持ち分かりますね。今でも共演しているところをテレビで見ますと、仲が良いことはすぐにわかりますよね。

 

エピソードとさんまさんの名言集は後編に続きます。

 

---owari---

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「世界大学ランキング」にま... | トップ | 明石家さんまさんの人生哲学... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

人生」カテゴリの最新記事