(人間に最初に出てくるのは動物的本能)
この「心」の問題について、さらに深く入っていかなければならないと思います。
人々が、「あなたの心とは、どういうものですか」と訊(き)かれて、どう答えられるかという問題がありますが、いちばん最初に各人から出てくるものは、いわゆる「本能」の部分であろうと思うのです。これはおそらく、昆虫や動物にも、ある程度、備わっているものだろうと思います。
また、科学者のなかには、「人間は動物の進化形にしかすぎない」と思っている人も数多くいますし、現代の教育でも、ホモ・サピエンスというのは、猿から類人猿、類人猿から人類へと変わってきたものだと考えられています。
猿では十分ではなかった道具を使えるような存在になり、そこからだんだん進化してきたように思われているところがあるのです。
(快・不快の原則――生命体が持つ「心の原始的なかたち」)
そこで、本能の領域で考えると、各個体、昆虫であれ、動物であれ、人間であれ、「地上にある生命体」と自分で思っているものを護(まも)ろうとする本能が働きます。
この「護ろう」という判断においては、自分に快感をもたらすもの、快楽をもたらすものは喜んで受け入れようとし、自分に苦痛、悲しみ等を与えるものは避(さ)けよう、あるいは軽減しようとする傾向が一般的にあります。
これは、「快・不快の原則」と言われるものです。
こうした本能は、“原始的なかたち”での心の存在かもしれません。人は、自分に快楽を与えるもの、快感を与えるものを好み、自分に苦痛を与え、悲しみを与えるものを避けようという選択をします。たいていの場合は、そのようになるのです。
これが、心というものが生まれる始まりかもしれません。
人間は、本能的には、そうした「快・不快の原則」から見て意思決定するようになります。「自分はこうしよう」、あるいは「これはするまい」と思うようになるわけです。まずは、そこから考えが始まります。
ただ、この段階では、まだ、昆虫や動物と、原理的にそう大きくは変わっていないと思います。自分が快く思っているもののほうへ行き、嫌(いや)なものは避けようとするのは、昆虫だって動物だっておそらく同じでしょう。
---owari---
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