(「自分よりも能力の高い人」を使うために必要なこと)
リーダーになる人というのは、もちろん、最初から何かに優(すぐ)れていないとリーダーにはなれないものですが、途中(とちゅう)でギアを変えていかなくてはいけないので、そこが厳しいところだと思います。
若い時代であれば、個人の能力をできるだけ伸ばしたほうが評価はされやすいのですが、中堅(ちゅうけん)から上になってくると、それだけでは済まなくなってくるということです。
要するに、「メンバーを使いながら、チームとして成果を出せるかどうか。トップは、自分よりも能力の高い人を使えるかどうか」という問題は出てくるわけです。
これは厳しいことでしょう。アメリカの鉄鋼王であるアンドリュー・カーネギーは、「自分より賢(かしこ)い人を集めて使った者、ここに眠(ねむ)る」というような言葉が墓碑銘(ぼひめい)に書かれていますし、小渕恵三(おぶちけいぞう)元総理などもそういうことを言っていたようではあります。ただ、現実には、能力の高い人をそれほど使えるものではないことも事実です。
やはり、能力の高い人を使うには「徳」が要ります。徳がないと使えないのです。
あと、あるとすれば、「年齢(ねんれい)差」ぐらいでしょうか。
例えば、劉備玄徳(りゅうびげんとく)が諸葛孔明(しょかつこうめい)のことを使えたとはいっても、年齢がニ十歳ぐらい離(はな)れていたわけです。この差は大きかったと思います。もし同年齢であれば、軍師から、「この人は頭が悪いなあ」などと思われたりすると、なかなか使いにくいところもあったのではないでしょうか。
やはり、劉備とは二十歳ぐらい違っていたこともあって、孔明としても、「若いのに抜擢(ばってき)してくれた。それに応(こた)えなければならない」という気持ちがあったのだろうと思います。それから、劉備のほうが人間として長く生きている分、“人間通(つう)”の部分もあったでしょうから、孔明にとっても学ぶところがあったのではないでしょうか。
そのように、リーダーになっていく道はなかなか厳しいのです。
---owari---
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