みなさんが、自分自身を変え、自分を「神を目指して成長していく存在」へと導いていこうとするならば、この地上を去った霊天上界においても、みなさんを見ている存在が必ずあります。
それを神と言ってもよいのですが、神近き天使たち、あるいは、如来や菩薩といわれる光の指導霊たちが、常に、みなさんを見守っています。そして、「とうとう目覚めたか。とうとう、その時が来たか。やっと自分自身の値打ちに気がついたか」と言って、喜んでいるのです。
実は、自分自身が幸福になろうと思っても、幸福にはなれません。自分自身が幸福になろうとするのではなく、「世の人々を幸福にしよう」という強い願いを持って生きること、他の人々に愛を与えて生きんとすること、その道のなかに、みなさんの幸福は開けてくるのです。
この世の中に人間として生きていながら、「他の人々を愛し、他の人々を幸福にする」ということに、自分の幸福を重ね合わせて考えることができる人ほど、幸福な人はいないのです。
なぜなら、そういう人生観を持った人は、世を照らしているからです。すでに「世を照らす光」となっているからです。
それが、「神は光である」ということの意味であり、また、みなさんが人間として生まれるに際して、「神の光の一部が宿った」ということの意味なのです。
「『他の人の幸福』を『自分の幸福』とする人ほど、幸福な人はいない」 (仏法真理)
---owari---
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