九州地方の連日の余震と震災報道に心を痛めております。
明日は我が身と覚悟をしていますが、それにしても被災された方々が心配です。
私も岩手県で震度5を体験していますが、震度4と震度5では揺れ方は大違いです。
今回は震度7や6の強さであったわけですから、想像を絶する怖さがあったとご心痛を察しいたします。
読者登録させて頂いている「大分県の石川青果のエーコさん」、被害はなかったでしょうか、
しばらくの間、十分に気を付けてください。
それでは本文に移らせていただきます。今日は少し長文になります。ご容赦ください。
少しでもゴネられそうなことがあったら、一応ゴネてみましょう!
方法はゴネのエキスパートにお任せを!
費用は心配無用、ゴネ得の後払いで!
とは、こちらの弁護士事務所グループの打っているテレビのコマーシャルの文句である。
弁護士事務所グループの打っているテレビのコマーシャルの文句はもちろん、もう少しまともな言葉は使っているが、言わんとしていることはこのとおりで、露骨である。
私の場合は三つとも裁判用語で大別すると「不当解雇」というジャンルに入るのだが、ある仕事を村のパートの奥さんに頼んだ。というより、彼女の場合はポーランドから移民のスラブ民族で、お涙頂戴の物語で家計の苦しさを訴えるので、つい人情にほだされて、さして必要でもない仕事をつくってやったのだ。すると、いつの間にか同じスラブ民族のロシア移民の夫をつれてきて、自分の仕事を手伝わせている。
彼は大工だということで、「いいの、いいの、やらせておけば。彼は最近仕事がなくて腕がなまっているから、トレーニングに身体を動かしたいんじゃないの?」とこれも頼みもしない屋根の上にのぼったりしている。
そのうちに日本だったら十分相撲の大関か小結が務まりそうな十九歳の娘までが、庭掃除だとか石垣の積み直しだとかの仕事を勝手に始めた。「いいの、いいの、国際親善よ」。
これを真に受け、黙認したのが大間違いだった。数ヶ月して仕事がなくなり、もう来なくていいと宣言した途端、ゴネドクおすそわけのアングロ・サクソン弁護士が乗り出してきた。
家族全員の不当解雇というわけで、「ポストが赤いのもジャップが悪い」という論法を振り回す。
そんな雇用の契約はしていない、と言えば、契約をしないで働かせたのが悪い、と言う。まさにすべて、「ああいえばこういう」式で、こちらの弁護士の言い分は、「これは完全に勝てます。しかし、時間がかかります」
時間がかかるということは、弁護士費用として一時間一万円単位の金が消えていくということである。もうこうなれば道理も正義もヘッタクレもない。両方の側の弁護士への献金運動になる。彼らは奥深いところで、完全にツルんでいる。水掛け論こそ彼らの思う壺で、彼ら白人はソクラテスの時代から水掛け論では百戦錬磨なのだ。
このカラクリこそ白人の「訴訟社会」の実体である。相手は貧者のスラブ、一方は金持ちのジャップでは、はじめから勝ち目はまったくない。無論、私の場合は「金持ち」ではないが、そんな「真実」は通じない。白人社会とは、現実のいかんにかかわらず、最初から「ムシル側」と「ムシラレル側」というものが、暗黙に確立している社会なのである。この正義などはどこにもない身の毛もよだつ不条理な現実を肌で知らない限り、白人の生み出した共産主義とか民主主義などの実体と根源はわかりはしない。
私の場合は個人的な小さな「負け」だったが、その何百億倍の「負け」はナントカ興産、三井・三菱、ナントカ建設、などの日本のトップクラスの大企業が、この数十年、総なめで被った巨大な被害なのである。小は個人から、大は国家規模にいたるまでのこうした「負け」の正体は、相手としての彼ら白人たちの度しがたく、かつ信じがたいほどの幼児的悪意である。
彼らの訴訟における戦いには、大人としての人間の叡智など毛ほどもない。
手段も発言も、時には噴き出したくなるほどに子供っぽいのである。その子供っぽさこそ、人間の悪知恵の限界を示す証拠なのだが、「無理が通れば道理が引っ込む」とか「泣く子と地頭には勝てない」ことこそ、幼児性西洋文明のエッセンスであることを、日本人はどうしても知らねばならないのです。
たとえどんな非道なことを自分たちがしていても、「悪いのは相手」がアングロ・サクソンの思考方法なのである。
それはもう、滑稽なほどに幼稚な思考法であり、かつ、空恐ろしいほどに彼らの天性なのだ。
彼らがどれほどの幼児性をもっているか、彼らの間で長い年月を暮らさない限り、日本人にはとても信じられないことだろう。
大人と書いて「タイジン」と読ませるのは、人間の老成を敬う中国の価値観の一つだが、少なくとも東洋人は白人たちの数百倍はオトナである。われわれ日本人は、自分たちがどれほど人間として成熟しているか、白人と比較しない限り自覚できないことなのである。
自分の過ちを素直に認め、相手に詫びるということは、人間として、もっとも成熟した行為の現れである。われわれはあまりにも自然に、かつ容易に、それができるので、その人間としての高度な成長ぶりに気づかずにいる。時には、幼児性のカタマリである異国人にその美点を悪用され、行き過ぎた謝罪外交や国辱的自虐史観を強いられたりする。
そのように、時としてオトナであることは弱点になりえても、なおかつ、人間は成熟しなければならない。ところが、白人は、いつの頃からか、成熟することがまったくできなくなった未熟児なのである。己の非を決して認めることができず、常に責任を転嫁し、へ理屈によって自分を正当化するということは、もっとも子供っぽい未成熟の証拠となるのである。
それはまた、彼らが恥を知らない、ということである。
厚顔無恥の恥知らずがアングロ・サクソンの正体であり、恥を知らないということほど、人間の幼児性の証拠はないのである。クリントン・アメリカ大統領の不倫事件への反応などは、われわれ恥を知る民族にとって、理解の度をはるかに超えている。恐ろしいことは、彼を支持する大衆もまた、その幼児性によってこの「訴訟」を見ているということである。
よその国のワルグチを、のべつまくなしに、倦むこともなく、言い立てるという感覚は、われわれ日本人にはない。
アングロ・サクソンや中国人、朝鮮半島人にはある。テレビで、ラジオで、雑誌で、新聞で、単行本で、ここオーストラリアでも日本の悪口を言い続けである。
大東亜戦争中にオーストラリアの兵隊だった男が、その戦争における人生的被害をタテに、日本政府に損害賠償を訴えた事件も、記憶に新しい。この時ばかりはさすがの日本政府も、はねつけたらしい。はねつけられたその男が涙を流し、日本の非道を改めて訴えているテレビ・ニュースがオーストラリア中に流れた。
もし戦争に参加した兵隊一人一人が人生的損害を訴えたら、どのようなことになるのか、などと考えるアタマは、この幼児国家にはない。
いや、日本人以外の民族には、おおむねそういう意識は少ない。従軍慰安婦だったとか、今さらながら訴え出て、慟哭・派手派手しいどこかの国の女性たちも、この範疇から遠くないのである。
いったいなんのトクがあるの、と問いたくなるのは日本人だけで、きっとなにかトクがある。
彼らがトクにならないことをするはずはない。
憎しみはビジネスであるということを、日本人はまったくしらない。
第一、なりふりかまわず悪口雑言を吐き、自分自身の過去の恥をさらけだし、自らを貶めているなどと考えるのは日本人の勝手であり、彼らは悪口だとも、恥だとも思っていない。かつての戦争中、日本が犯した歴史的な犯罪を、しつこく、たゆみなく、執念深く暴きたて続けているだけである。
なぜか? なぜなら、それがビジネスだからである。
「略奪が、一番簡単で一番豊かな生活を約束することでヨーロッパ以上のところはなかったろう。日本では、泥棒、強盗はバカがやる一番損な仕事になっているが、ヨーロッパでは、優秀な人間がやる企業であるという大きな考え方の相違――イギリス皇室は先祖が海賊であったことを誇らしげに宣言する――の原因の一つはここにある。激しい食料をめぐる争いが、当然のこととして帰結されるのである」
「ローマ帝国の理論は『お前のものは俺によこせ、お前は飢えて死ね。お前のものを奪うことによって俺は生きる』であり、それを受けたユダヤの理論は『いかに圧迫されようがわれわれは最小限に生き、神の助力で汝らを征服し返し、復讐する。そのためになすすべてのことは正義である』というものだった」
アングロ・サクソンの象徴イギリスの王たちは泥棒を家業とする強盗集団であり、彼らの物質文明の根底を支え続けた元をたどれば、征服と略奪と復讐のビジネス化なのである。
日本のように高い文明を生みながら、このような醜く悲惨な経験をしなかった民族は少ない。
それはなぜか? 彼らの生存するための自然環境が、日本人の想像を絶するほどに過酷だったからである。
開墾がかなり進んだ十二世紀でも、パリの北方の豊かな農村ですら、毎年四人に一人の餓死者がでていた。世界の土地の生産性は、日本に比べると恐ろしく低いのである。十五、六世紀のヨーロッパの穀物の播種量(種まきの量)は二倍から三倍、十八世紀になっても七~八倍に過ぎない。
日本は古くから数十倍、ほとんど百倍の収穫率を維持してきた。
その必然として、彼らの根本的な精神は戦士であり、略奪者にならざるをえなかった。農民化した後でも、彼らの墓からはおびただしい武器が副葬品として発掘されていて、武器を持たない純農民の墓が現れるのはやっと七世紀になってからである。それでも彼らの遺伝子は、生まれつきの好戦的なものであり、野蛮なものにならざるをえなかったのだ。
「覚悟せよ」と彼らは言う。
いや彼らだけではない。同胞でも同じことを私に言う人が多い。
「それほど私たちはワルイのよ」と。
違う言い方をする人もいる。
私の言う「世界の日本人総スカンク説」は思い過ごしだというのである。
「あなた、よっぽどヒガイモーソーじゃない?」と。
特に海外生活の経験ある同胞が、自分の体験に引き比べて、そう反論する。
白人とのいい思い出を汚されたように感じるらしいし、絵に描いた餅のような国際親善を信奉しているようだ。
だが、私は知っている。
なんと言われようと知っている。そんなことを言う同胞は、恵まれたエリートたちである。同じように海外で生活していても、毎日立派なオフィスに行って、踏ん反り返るか、繁華街のグッチの店に日参しているようなハイクラスの方々である。
そういう人たちが、私の憂国を被害妄想だというのである。
十年間、ぶっ通しで、教養も何もない、ごく一般の現地人と、それこそ裸で、同じカマのメシでも食ってから言ってほしい。
話を縮めよう。
一般論として、白人は日本人がキライなのである。少なくとも無関心なのである。タクアンの尻尾のように、食っても食わなくてもいい存在で、なるべくなら食いたくない代物なのである。
なぜか?われわれ日本人が、それにふさわしいからである。
世界を知らない日本人が多すぎる。そういう日本人の共通点は、世界の人々のなんたるかを、まったく認識していないという点である。
同じ東洋人との共通点や相違点にも無関心だし、ましてや白人の実体、アングロ・サクソンの正体についても、なに一つ知っていない。
ということは、自分が日本人であるということに関しても、まったく、なにもわかっていないし、知ってもいないということである。平たく言えば、日本人としての自覚がほとんどないか、上面だけのものである。そういう人に限って「私は日本人である前に国際人である」などと、薄っぺらなことを言う。
愛国心とは、自己愛の変形である。自己愛は他者との比較において生まれる。他者を知らなければ、自己を知ることもできない。自己を愛せない人間の行き着く先は、自虐と自滅なのである。
以上が著者・林さんのお話でした。
このお話はもう17年前になりますので、外国人観光客が増えている昨今では状況は少し変わっているかと思いますが、林さんがご指摘された内容は根本的には変っていないと思います。
ヨーロッパ諸国がアジアを植民地にして、現地の富を略奪した歴史の真実がわかったように思います。また、アフリカから人身売買して、奴隷にした欧米諸国はこの植民地政策や奴隷制度につて一度も謝っていないのです。いわんや、広島、長崎に原爆を落として、罪なき庶民を虐殺した事実に対しても、何の謝罪もしていないのです。
それが、彼らアングロ・サクソン人の正体なのではないでしょうか。
私たちが知っている(?)外国人の多くが、このような幼児性を保持しているとは考えにくいが、
その本質はあると見て対応するのが正しい判断ではないでしょうか。
日本人の感性を、日本人の知恵や人間性を世界に広めなければ、世界の未来はないのです。
これは傲慢な意見ではなく、日本人の考え方が、思考方法が、世界に必要だと言っているのです。
さすれば、世界は助け合って生きることができると思うのです。
仏はこの日本人という民族に世界を救う切り札として、期待されているのです。
---owari---
その博識かつ奥深い洞察力にはいつもスカッとさせて頂いております。
これからも、ジャンルに縛られることなく存分に暴れ回って下さいませ!
激励のコメント、有難うございます。
一番うれしいコメントを頂き、とても光栄です。
皆さんにどのように伝わっているのか、心配な時もありますが、微力ながら、これからも頑張ります。
ドイツ人ですよ。
アングロがなまって、イングラ ランド
ご意見、ありがとうございます。
著者の林秀彦さんの記述には「私と妻はアングロ・サクソンの原形のようなオーストラリア人・・・・・」とか「アングロ・サクソンの象徴イギリスの王たち」という記述があります。
この点をご指摘いただいたものと思って、ご回答させていただきます。
確かに、アングロ・サクソン人は5世紀頃、現在のドイツ北岸からグレートブリテン島(イングランド)南部に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称であり、この中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いたと、ウィキペディアに書かれていますね。
したがって、アングロサクソン人の原形はドイツ語圏の地域に由来を持つ民族であるということで了解しました。
また、アングロ・サクソン人は現在のイギリス人を構成する主要な民族であるとも認識しています。
今後もご愛読よろしくお願いします。
アングロ・サクソンの実情、こういったことはメディアでは決して発表されないので、多くの日本人がいまだに西洋人に対する憧れのようなものを持ったまま、メディアで流される情報を鵜呑みにして生きているのだと思います。私の経験は大したものではありませんが、見てきたことをもとに事実を伝えたいと思っています。これほど諸外国に狙われて危険な国に住んでいながら、国民自体があまりにも平和にのほほんと暮らしているのが歯がゆいですね。多くの日本人に目を大きく見開いて世の中を見てもらいたいと願っています。
コメントをいただき、有難うございます。
「日本人のほうが遥かに幼稚だがな」とおっしゃった箇所がよく分かりません。
確かに、日本人の考え方は戦略性に乏しく、幼稚さが目立つ点もあるかと思います。
しかしながら、東日本大震災のときに見せた日本人の行動は世界から高く評価されました。
世界の人々が日本は素晴らしいと絶賛したのです。
明治日本の急速な隆盛も、戦後の奇跡的な復興も、多くの国民がそれぞれの場で奉公に勤しんだ事が大きな原動力となっていたのです。
日本社会の最大の強みは、世界一の「一般人」がいるということだと思っています。
日本には優れた一般人が大勢いて、いつだって一生懸命なのです。だから、世界から見て日本は健全な社会だと認められていると思われます。
日本人の幼稚性について特に挙げたいのが、憲法九条を守っていれば平和であるということを疑わない人びとの存在です。他の国が攻めてこないという確証はどこにもなく、無抵抗のまま侵略されればどう責任をとるというのでしょうか。そのような考え方では日本の人々の生命と財産と安全と領土を護ることはできないのです。
フォロー、ありがとうございます。
上述のお話は、アングロサクソンの正体と言うより、砂漠発祥の一神教の正体ではないかと考えております。
ダブルスタンダードや排他的で野蛮なのは彼らの本質ではないでしょうか。
それでは失礼します。
コメント有難うございました。
ご意見のとおり、アングロサクソン文明の根本には一神教があるのでしょうね。
「一神教の世界では、異教徒は人間に非ず」ですから、異教徒を同等に扱う必要はさらさらなく、それこそ家畜と見なして差し支えないという排他的、独善的、好戦的な考え方を生んだのでしょうか。
またご訪問ください。有難うございました。
◆日和見主義で、二言も三言もひるがえす。
◆同じ相手に対して何度でも握手と裏切りを繰り返す。関係はその時々の利益次第。
◆一度手に入れた権利は絶対に絶対に譲らない=お互いの幸せのために我慢すべきは我慢するということができない。
◆聖書の信仰が最高到達地点であるがゆえに、いつでも私達(非キリスト者)に思いやり深く’教えて’’くれようとする。
◆日本人のことはおとなしいがゆえに、または安定安全パイだから笑顔で付き合っているに過ぎない。だから最近は中国人に乗り換え中。
◆自然の理解も、自分達の利益がベースであって、生きとし生けるものの立場がベースではない。=利益があれば保護管理し、目障りならばペスト指定して見つけ次第虐殺しまくる。その場合いかなるむごい仕打ちも平気でやってのける。
◆誇り高き民族の高潔や犠牲的態度は理解不能で、馬鹿じゃなかろうかって思ってる。ずるいこと=賢いこと、と考えており、卑怯なことをやらかした時にドヤ顔さえする。嘘なんて平気。
◆侵略DNA=彼らは自分の立場が弱い時にはとてもチャーミング&心の底からフレンドリーで友のために神のご加護を祈る。が、ひとたび優勢になるとふつふつと敵意がこみ上げてくるらしい。あんなにいい友達だったことはきれいさっぱり忘れてしまうドライな精神。
◆差別する側が上、いじめる側が上に見えるでしょう?だから、必要もない差別を仕掛けて優位に立とうとする。弱い者いじめが恥という感覚は全然無い。勝ったもん勝ち、取ったもん勝ち、の精神。
◆社会活動参加型のアングロサクソン=信念を振りかざして、教養や主義を持っている自分をガンガンアピール。でも数か月後には涼しい顔で宗旨替えしてる。