昨夜、九州(特に熊本県)の地震で被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
さぞかし、不安な一夜をお過ごしになられたことでしょう。
一日も早いご回復をお祈りいたしております。
それでは本文に移らせていただきます。
売れっ子シナリオライターだった林秀彦さんは、日本での生活に絶望し、国外脱出を決意、移住先にオーストラリアを選んだ。しかし、強烈な自己主張と嫉妬がうずまくアングロ・サクソン文明のなかで生活をするうちに、林さんの胸中には、日本的な思考・美意識こそ、これからの文明の礎になるべきだという確信が生じたのでした。
オーストラリアの山中に閑居すること十年、グローバル・スタンダードの美名に惑わされて、みずからの美点を無自覚に捨てかけている日本人の姿を見るに見かねた林さんが、日本人に問いかける鋭い洞察に満ちた日本論である著書「日本を捨てて、日本を知った」からご紹介します。
日本で使われる「国際」という言葉は、すべて詐欺である。
内容がまったく把握されていないという意味で、ペテンである。
狼の群れのなかの子羊のような日本人にとって、二十一世紀を生き抜くための問題点はあまりにも多くありすぎるが、せめて、そのあたりから認識を改めていかない限り、この国と国民に未来はまったくない。
国際関係とは敵対関係のことである、日本人全員が実感を持つには、時すでに遅いのだが、永久に待てないより、まだましである。
土台、世界中の人びとが仲良く暮らすことなど未来永劫ありえず、その無理を承知で、細々と平和の努力を積み重ねるのが「国際親善」の基本なのだ。その底辺には、いつでもむける牙が隠されていなければならない。牙こそが平和の要なのだ。
しかも相当強靭で、相手がひるむほどに凄みのある牙でなければ、平和はおろか、他国や他民族を理解する手立てにもならない。牙とは武力のことだけではない。知識も強い牙である。
そう、せめて・・・・・
せめて、白人を筆頭とするガイジンは、古い表現を使えばわれわれにとって「不倶戴天(ふぐたいてん)の敵(同じ天の下には生かしておかない意の敵)」という知識を持つところから、再出発しなければ、日本に未来はない。
中国人からユダヤ人までを、「ガイジン」と十把ひとからげで把握するのも確かに一つの理解方便ではあるが、文明開化の時代ならいざ知らず、二十一世紀にはもはや通用しない。
コソボにおいて、民族浄化の名のもとに、いったいどのような悲惨な状況が生まれているか。
しかし、われわれはニュースでその地獄図を見ても、セルビア人とアルバニア人の区別など、シェパードとスピッツほどにも区別できないのである。「どっちだってたいして違わないじゃないか」というのが、われわれの本音である。
ところがこの日本人にとっては同じような白人に見え、同じようなガイジンの彼らが、まさにその「たいして違わない」部分で、何千年もの間、殺し合いを続け、今後も、未来永劫に殺し合いを続けるのである。その考えは、われわれ日本人の理解の範疇を超えてきた。
しかし、二十一世紀、彼らは日本人に向かって、お前はどちらの味方かはっきりしろと迫ってくる。「少なくともわれわれと同じ人間の仲間入りをしたいならば、この人類が人類たり得た基本的なドロドロを一緒にひっかぶれ」と迫ってくる。
基本的なドロドロとは、憎しみ、嫉妬を根に据えた殺し合いのアイデンティティのことであり、
「多民族を殺し合う」という共通のコンセプトを根底に持ったうえでの共存・共栄の模索を持ち合うという「地球人アイデンティティ」のことなのである。
そうした「目」を諸外国に向けない限り、もはや日本人の未来はない時代に来ている。言ってみれば、日本人以外の人類は、その人類の醜さ、愚かさ、野蛮さなどにやっと気づきはじめ、美辞麗句の上っ面だけの人間賛歌でその実体を取り繕っておくことを、やめはじめている。
あまりにも人間が最低なイキモノなので、人間賛歌は限界が来てしまった。万物の霊長など、とんでもないことがわかりはじめた。このどうしようもない愚かな存在を自認し、そのうえでの人間としての尊厳を求めようとしている時代、日本人だけが生れたばかりのウブな赤ん坊もように、狼の群れのただなかで、ニコニコ無邪気なお愛想笑いを振りまいているのである、
そういう人類の歴史のなかで、日本人だけがいまだになんの認識も世界人類に対して持ち合わせていないのである。特に人種とか民族に対する無知蒙昧ぶりは、目を覆わしめる。民族というものが風土、言語、宗教、人間関係などの複雑な総体から生まれる「共属感覚」であるという基本的な概念すら、持ち合わせていない。
しかし、むずかしいことは、この際無視しよう。たとえば、イングランド人、スコットランド人、ウエール人、アイルランド人など相互の決定的な相違が分からなくとも、また、クロアチア人、アルバニア人、スロベニア人、セルビア人がなどの相違が分からなくとも十把ひとからげのガイジン・白人から勉強を始めよう。
とりあえず、白人とはアングロ・サクソン族のことだと、とんでもなく乱暴な定義から始めよう。
なにしろくわしく勉強しているヒマは、もはやわれわれにはないほどに、事態は切迫しているのだから・・・・・。
アングロ・サクソンとは、強盗団である。血も涙もない、好戦的な野蛮人である。
おしなべて「白人を見たら、泥棒と思え」の認識は正しいのだが、なかでもとりわけ、アングロ・サクソン人を見たら人殺しと、と思ってよい。
そしてこの現在、「国際」をもっとも言いふらし、ニュー・ワールド・オーダーだとか、ディファクト・スタンダードだとか、グローバリズムだとか、声を大にして叫んでいるのは、彼らアングロ・サクソンなのである。その真意は何か?
口先だけでは民主主義と平和、人権と権利と平等をうたいつつも、もっとも攻撃的で、排他的で、侵略的な民族もまた、アングロ・サクソンである。再度にわたったイラク攻撃は、その証拠の一端である。
彼らが東洋人を猿以下に認識し、嫌悪・侮辱しきっていることは、会田雄次さんの著書「アーロン収容所」を読めば納得されるだろう。
広島に原爆を投下した兵士本人が、いささかの罪の意識もない、正しいことをしたと信じていると、再確認のように声明を出しているのである。
アングロ・サクソンの辞書に「謝罪」の文字はない。そのへんから、学び始めなくてはならない。
いったい「大英帝国」の人びとが、過去の歴史で、どれほど悪辣非道なことをしてきたか、今でもし続けているか、日本人はどの程度に認識していることだろう。
トルコを火薬庫として起きているクルド族の問題、イスラエル・パレスチナの問題をはじめ、世界史の邪悪な出来事の大部分はアングロ・サクソンによって種をまかれたといっても過言ではない。なおかつ、そのことに対し、彼らがいささかの罪の意識もないということは、気弱な日本人には、とてつもないほどに理解を超えることなどである。
それは「国際問題」などとしてとらえるよりは、個人の日常生活を知ることによって、はじめて実感できることなのだ。
この十年間、私と妻はアングロ・サクソンの原形のようなオーストラリア人から、三度訴訟を起こされ、裁判所に引っ張り出された。その個人的なウラミ・ツラミでこれを書いているなどと思わないでいただきたい。私が骨身に徹して、彼らの正体を知ったから書いているのである。
裁判の詳細はあまりにもアホらしいうえに長くなるので書かないが、どの場合も「カラスが黒いのはお前が悪い」の論法が大手を振ってまかり通るのである。
少しでもゴネられそうなことがあったら、一応ゴネてみましょう!
方法はゴネのエキスパートにお任せを!
費用は心配無用、ゴネ得の後払いで!
とは、こちらの弁護士事務所グループの打っているテレビのコマーシャルの文句である。
後編は明日に続きます。
---owari---
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