今日は日下公人著書「『超先進国』日本が世界を導く」より転載します。
----------------------------------------
(日本は西欧より前に近代化していた)
日本は(西欧)近代と遭遇し、彼らの征服欲の対象とされたことで、自ら懸命に劣位戦を戦い、生き残るために近代化を果たした。
ただ日本は西欧が250年前に近代化を始める以前、すでに独自に近代化を遂げており、たんに西欧風の近代化を日本の近代化の上に乗せることだったので、明治の元勲たちは欧米を視察して彼我の差をせいぜい40年程度と見積もることができた(『米欧回覧実記』)。
日本が保有する文明・文化の上に急いで増築した西欧的近代化の部分を、当時の日本人は「殖産興業」「富国強兵」と表した。中身は経済力の発展と軍事力の増強で、それ以外の近代化はほぼ一千年も前に完了していた。
今日的表現を用いれば、民主主義的集団合議制、男女を通じた基本的人権の尊重、支配・被支配を超えた人間の尊厳と福祉社会、宗教と政治の分離、教育の普及、集会結社の自由、言論思想の自由、営利の自由、職業選択の自由、階級移動の容易化等々は、すでに考えとしては存在し、ある程度は行われてもいた。
近代化を完成したと自任している西欧との比較は分野ごとの程度問題でしかなく、日本は西欧に比べて遅れていたとか、封建時代のまま停滞していたとかは一概にいえない。
(「暗黙のうちに了解する術(すべ)」)
そして、これらはとくに戦後において無謬(むびゅう:誤りがない)の価値のごとく語られたが、実は、到達すべき目標として数値化、計量化、可視化された途端に人間性を押し潰しかねない、人間社会には「隠された前提(価値)」があるということを、かつての日本人は知っていた。今も知っている日本人はいる。それが「暗黙知」である。
日本人は長い歴史のうちに、相互に冗舌な言葉を必要としなくなった。島国にあって共通体験を多く持ち、ほとんど異民族に侵されなかったことから契約や説得(騙し合い)のための言葉が発達しなかった。
日本語が異なる文化とのコミュニケーションに向いていないのはそのせいだが、代わりにわれわれは暗黙のうちに了解する術(すべ)を得た。そしてそれは説明できないこと、理屈として立てられないことにも意味や価値があり得るという奥行き、複雑性や多様性をもたらした。
日本人は、単純な善悪二分法では人間も世の中も測れないことを知っていた。男女平等などという平面的な価値観にとらわれることもなかった。命は大切だが、それを懸けても成し遂げなければならないことが人生にはあり得ることもわかっていた。
秀才ではない普通の庶民がこうした徳をわきまえていたのが日本人の歴史である。もしこれを理屈でわかりたいという人は石田梅岩などを読むといい。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます