(「マイナスの不安」と「プラスに転じる不安」の違いについて)
それから、もう一つ、「不安」というものがありますね。不安にも、やはり、「マイナス」と「プラスに転じるもの」との二通りあると私は思います。
ただ、不安のなかには、やや“否定的な部分”のほうが多いかもしれません。やや否定的なものが多いというのはどういうことかというと、不安の多くが、実際は悩みを生じさせているからです。不安というものが悩みを生じさせている。
人の悩みというものは、本当は現在ただいまの悩みであることは少ないのです。現在ただいまではなくて、これから自分を迎えるであろう、漠然とした不安に怯(おび)えていることが多いのです。たいていの場合、そうです。過ぎてしまえば何でもないことですが、これから起きることに対する不安感でいっぱいなのです。それが人間を苦しめるようになります。
例えば、主婦であれば、子供がいたら子供の将来に対する不安がある。ご主人の将来に対する不安がある。いろいろありますね。これが取り越し苦労的に出てくると、だいたい「マイナスの思い」になります。
ただ、不安のなかでもよいものもあります。よいものを二種類挙げてみますと、一種類目は、「自分が創意工夫を凝らす」という意味での不安の活用があります。悪いことが起きそうだったら、「事前に手を打っていこう。何か工夫していこう。このままではいけない」ということです。
例えば、「このままだと、あと一年で会社が潰れるかもしれない」と。これは危機感ともいいます。こういう危機感という名の不安もあります。「一年ぐらいで潰れるかもしれない」。
ただ、「じっと待っていたら潰れるけれども、何とかしてこれを打開しなければいけない」ということで、みなが士気を高めて「頑張ろう」ということになって、結局、乗り切ったとすると、この不安はプラスに転じます。
すなわち、みんなのやる気を高める意味での不安感あるいは危機感というものは、プラスに転じることがある。これが一つです。
それから、二種類目として、不安と思われるもののなかには、“愛の変形したもの”があります。「愛」の部分です。
例えば、「子供が学校に行くとき大丈夫だろうか」「帰り道は大丈夫だろうか。知らない人に声をかけられるのではないだろうか」とか、いろいろとお母さんの不安というものがありますが、この不安の一部分は、やはり“愛が変形したもの”です。まだ自分自身の行動に責任が取れない者、自分自身で正当な判断ができない者、そういう弱い者、小さな者に対する愛が不安というかたちで表れることは当然あります。
ですから、こうした不安は必ずしも悪ではありません。「心配症、取り越し苦労や持ち越し苦労も悪だ」というように言われていますが、悪ではない面もあります。それは、そうした「愛」の部分です。
親が子供に対して、ある程度、心配症であったり、ある程度、不安を持っているということは、これは愛です。そういう愛の思いで包んであげないと、やはり、何かのときに失敗する可能性が強いからです。
ただ、当然ながら、これも行きすぎるともちろん悪になります。
(他人も自分自身も生かさない思いが「マイナスの思い」)
このように、いろいろな物事には両面があって、それをよく見極める必要があります。今、疑問と不安を挙げましたが、それ以外のものにも同じような考えがあります。
結局、どういうことかというと、他の人を生かさない、そして、究極的には自分自身も生かさない、こういう思いが「マイナスの思い」なのです。
---owari---
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