(「才色兼備」が良妻賢母とは限らない)
夫を出世させる、あるいは家運を向上させる妻と、逆に、そうではなく、“さげまん”になってしまう妻との違いについて、現代的な視点でお話しましょう。
現代では、「高嶺(たかね)の花」というか、多くの男性から憧(あこが)れられる女性には、どちらかといったら、「個性が際立っている」というところがあるかと思います。
つまり、「花としても、自分一人で咲き続けることができるような女性のほうが好かれ、憧れられる傾向が強い」ということであり、「どちらかというと、男性だけでなく、女性からも憧れられるような女性、『あのようになりたいな』と思われる女性が、人気がある」ということですよね。
もっと具体的に言うと、テレビのニュースキャスターになれるような女性でしょうか。「才色兼備」という感じで、よく勉強して知識があるけれども、美貌(びぼう)もあって、男性からも憧れられるような存在です。そういう方が、現代的には、“お姫様”のように見られていることも多いのではないかと思います。
ただ、「妻の条件」を考えたとき、そういう方が、妻としての適性が高いかというと、人によると思います。全部が駄目とも言えませんし、全部がよいとも言えません。
いろいろな人から、「いいなあ。いいなあ」と憧れられることが、妻の条件としてよろしいかというと、必ずしもそうではないのです。
要するに、「個性が際立つ」ということによって、結果的に、自我我欲が強くなったり、「自分自身が人にほめられたい、認められたい」という気持ちが強く出てき始めたリすると、夫との相性もありましょうが、「良妻賢母型になる」と言えるかどうか、分からない面があるわけです。
今は、女性として目立ちたいタイプの方に人気が出ている時代ではあるのですが、そういう目立ちたいタイプの方が、妻として、夫の運勢をあげるような力を持つのかどうかは分かりません。なかには、「仕事は仕事として、夫がやるべきことはあるけれども、それを離れたら、夫は完全に自分の支配下にあるべきだ」と思い、自分の予定を優先するような女性もいるのではないかと思います。
(妻と夫の「文化と見識」の衝突)
現代の教育においては、もう男女の区別がないようになってきており、非常に“ユニセックス(単性)”的な教育がなされているように感じるので、学校を出ただけでは、良妻賢母型になるのには、かなり難しいところがあるのではないかと思います。
たまたま、家庭での教育等で上手に教えられた人の場合には、よろしいかと思うのですが、なかなかそうはいきませんし、家庭で教育を受けていてもそれが夫のほうの家庭の文化と交わらない場合には、うまくいかないと、けんかになることがあります。
昔なら、地域的に近い所の人と結婚することが多かったのですが、今では地域的に離れた人や外国暮らしをした人、さらには外国出身の人と結婚することもあるので、もっともっと難しくなっているかと思います。
そのため、「面倒を避ける」という意味で、今、核家族化しています。それ自体は、ありうることかと思うのですが、人類の長い歴史から見ると、必ずしも正しいあり方とは思えない面はあるのです。
嫁は、自分が学んできたことを、そのまま提供しようとするわけですが、当然ながら、夫と妻とでは育ってきた環境が違うので、そのところで夫のほうがけっこう姑(しゅうとめ)と板挟みになります。
妻が自分の母からいろいろと教わってきた、家庭での心づくしのあり方と、夫自身が学んできたことが違うため、両方を立てようとすると、夫は裏表のある性格になりやすく、また、嫁と姑が女同士で会うときには、けんかになるようなこともあるわけです。
現代では、若い女性のほうが、親に当たる方々よりも高学歴であることも多いので、その意味では、「嫁は姑になかなか説得されない」という面はあるかと思います。今の若い女性には、自分自身が受けた教育から来る見識で、古い見識をすぐに否定してしまう傾向があるのではないかと思います。
---owari---
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