(宇宙樹の先端にある、本当の「自分」の発見)
生命の枝は次々と細分化されていきます。大きな枝から中ぐらいの枝になり、さらに細い枝が伸びています。
そして、この細い枝のいちばん先のほうには、末端の小さな枝が無数に出ていて、たくさんの葉っぱが繁っているように見えます。
さらに、近寄ってよく見ると、一つの小さな枝の先端に、六枚ぐらいの葉っぱがついています。この枝についている六枚の葉っぱを「一つの生命体」として見るのです。これを「魂の兄弟」といいます。
「魂の兄弟」は、原則として、「本体」という、魂の中心となる“司令塔”の部分、“頭”になる部分と、その兄弟である五人の魂で、“一つ”にまとまっています。この六人の魂全体で、“一つの生命体”になるのです。
それぞれの魂は、順番に、この地上に生まれます。死んで霊界に還っても、地上に生きていたときの姿のままで生活していることが多いのですが、それでも、本体と分身の全体で、まとまった一つの個性として、「自分たちは、こういう魂である」という自覚を共有しているのです。
それぞれの魂には違いがあって、外見上は、地上に生きていた時代の姿の違いにも見えます。しかし、魂の面から、まとまった一つの個性として見ると、それぞれの魂が地上で経験した記憶が、いろいろな断面として重なり合っているようにも見えるのです。
例えば、「江戸時代の記憶」「鎌倉時代の記憶」「平安時代の記憶」というように、それぞれの時代に地上で生きた自分の姿が魂の記憶のなかにあり、それを映画のスクリーンに映すように表現すると、違う個性の人が何人かいるようにも見えるわけです。
そのように、人間の魂は、六人単位ぐらいのエネルギー量を持っていて、そのうちの一人分ぐらいのエネルギーが肉体に宿り、この地上に生まれてくるのです。
そして、何十年かの修行を経て、新しい個性を持ってあの世に還ります。
今、生きているみなさんであれば、二十世紀から二十一世紀にかけての新しい時代経験を積み、新しい勉強をし、新しい人生の糧を得て、あの世に還っていきます。そして、その記憶を魂の兄弟たちと共有することになっているわけです。
魂のなかには、古い古い昔の記憶もあるのですが、それはしだいに薄れていくので、新しい時代に生まれ、新しい知識や経験を身につけていくのです。
---owari---
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