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大人になるということ:「芸術家肌の人」と「組織人」との違い ③

2019年03月29日 | 人生
(「自分自身ができるという能力」と「判断能力」とは違う)
人にはいろいろ考え方があるのですが、はっきり、「こうだ」と物事を考えている人もいれば、側(そば)にいる人の影響(えいきょう)を非常に受けやすいタイプの人もいます。

例えば、「三国志(さんごくし)」で言うと、*袁紹(えんしょう)には他人(ひと)の影響を受けやすい傾向(けいこう)がありましたし、*呂布(りょふ)などもそうでした。個人的には強かったのですが、他人に何か言われると、「そう言われると、そうかな」と、“揺(ゆ)れる”ようなところがあったようです。

ただ、これは才能の種類が違うのでしょう。つまり、「武力が強い」「戦ったら強い」という意味での「将軍になれるような強さ」と、「相手はこう考えるだろうから、こうするべきだ」と考えて作戦を立てる「参謀(さんぼう)的才能」とでは違いがあるわけです。このあたりの違いを知らなくてはいけません。

その意味では、実際に戦ったら自分のほうが強いとしても、やはり、作戦としては、いろいろな人の作戦を受け入れて戦わなくてはいけないのです。

ただ、これも参謀が一人だけであれば、その人が言うとおりに動く感じになるのでしょうが、参謀が複数になってきたら意見が対立します。このときに判断できるかどうかということも、大きなことだと思います。

もちろん、全員が一致(いっち)していれば、それほど責任はないのですが、軍議などでは、たいてい、矛盾(むじゅん)することや正反対のことを十分に言わせた上で、最後にその採決をするのが将軍や大将の仕事です。

例えば、「籠城戦(ろうじょうせん)をするべきです」「いや、打って出るべきです」「夜襲(やしゅう)をかけるべきです」など、いろいろな意見が出るでしょう。

そのように、意見を言う人は自由なのですが、最後に判断するのは大将の仕事です。大将は、「生き残るか全滅(ぜんめつ)するか」という責任を最後に問われるわけです。結局、大将というのは、そのためにいるわけであって、“首を取られる”ためにいるようなものなのです。

そういうわけで、「戦ったら強い」という才能と、参謀的に「策を用いたり、計画を立てたりすると強い」とか、「チーム力を発揮させると強い」という才能とには違いがあります。

それからもう一つ、「自分自身ができる」という能力と、「いろいろな案を提示されて、そのなかから選び取って判断をする」という能力とは別のものでしょう。つまり、「自分自身ができるという能力」と、「判断能力」とは別のものなのです。

特に、職業系の人のなかには、何も言われなくても自分でできてしまうものの、「これは、どうすればできるのですか」と訊(き)かれると説明できないという人がいます。「そんなもの、見て勝手に学べ」というようなことでしょう。

そのように、「見て勉強しろ」とは言うのですが、「なぜできるのか。どうしたらできるのか」ということが分からなくて説明できないために、そういうことを言う人はけっこう多くいます。これは、マニュアル化ができないタイプの人です。やはり、そうした人もいるのです。

このあたりは、組織の規模とも関係してくるのかなと思います。――この章は終りです。


*袁紹(えんしょう):(?~202)中国、後漢末期の武将。霊帝の没後、宦官勢力を一掃。献帝を擁(よう)した董卓(とうたく)を追放した。後に曹操(そうそう)と対立し、官渡(かんと)の戦いで敗北、病死した。
*呂布(りょふ):(?~198)中国、後漢末期の武将。若くして騎馬、弓術に優れ、併洲(へいしゅう)刺史である丁原(ていげん)の養子であったが、董卓に利用されて丁原を殺害。後に王允(おういん)に利用され董卓を暗殺した。その後、放浪するも、最後は曹操軍に捕らえられ、殺された。

---owari---
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