「愛」という言葉はありふれた言葉であり、誰もが知っている言葉です。
しかし、誰もが本当の意味を知ってはいない言葉とも、言わねばなりません。
愛は非常に多義的で複雑な概念であり、普遍的な定義が出来ない、そのような試みは不毛である、とさえ言われてきました。
「愛とは何か」というテーマは、有史以来、人類に与えられ続けてきたテーマではないでしょうか。人類にとって、これは大きな大きな学習課題だったと思うのです。
愛はいろいろと難しい議論を含んでいますが、あえて二つに要約するならば、愛には、「許し」の側面と、「自分のものを惜しまず、自分のものを節してでも、多くのものを他の人に与える」という側面があると思います。
後者は、他から奪い搾取する思いを捨て、できるだけ他に与えていこうとする、そういう思いだと言えるでしょう。「一日二十四時間のなかで、どれだけ多くのものを他の人に与えることができるか」、こういう考えの下に生きていくことが、「愛を生きている」「愛に生きている」ということだと思います。
「他の人からしてもらうことは、できるだけ少なく、他の人にしてあげることはできるだけ多く」という思想を持って生きていく人が、世の中に満ち溢れるならば、地上は必ずや天国になり、幸福に満ち溢れることになるのです。
愛は幸福の卵であり、幸福はユートピアの卵です。「愛から幸福を、幸福からユートピアを――。
そして、ユートピア社会ができたならば、そこに、また愛が満ち満ちてくる」、そういう循環がありうると思うのです。
また、「愛を与える」という行為は伝染していきます。
一人の人が愛の実践をしただけで、その愛は次から次へと広がっていきます。
愛は幸福の卵です。愛は幸福の基です。人がいちばん幸福感を感じていられるのは、愛に満ち満ちているときです。なぜなら、そういうときは、その人にとって、「この地上に存在していることがうれしい」という時間でもあるからです。
愛を与えると、他の人からも結果的には愛されることになるのですが、みずからが愛の発信基地になっていること自体が大きな喜びになっているのです。
ゆえに、私たち一人ひとりが、愛の発電機にならなければいけません。みずから愛を発電し、愛を増幅する人が満ちてこそ、世の中は次から次へとよくなっていくのです。
愛とは、
他の人にとって役に立つものを提供することです。
他の人の魂が成長する糧を与えることです。
他の人が勇気を持てるようなことを言うことです。
他の人が自信を持てるようにしてあげることです。
弱き者を単に慰めるだけではなく、弱き者が成長し、独り立ちしていけるように支えることです。
弱き者がますます徳高くなり、弱き者をも育んでいけるようにしていくことです。
すべてのものを成長させていくこと、それが愛ではないでしょうか。
そして、実践があって初めて、愛は生き生きとしたものになってくるのです。
優しい人びとがこの地上に満ちますように。(仏法真理より)
---owari---
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