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子供が喜ぶ武士道論語(前編)

2021年06月04日 | 日本
「自分の命より大切なものがあると知ったときに、その人の人生は輝きを増して、人間として素晴らしい人生を歩むことができるのです」

(派遣村に同情する価値なし)
空手7段の瀬戸健介氏(昭和21年生まれ)は、毎月、論語勉強会を開催している。4歳の子供から幼稚園児、小学生も参加しているが、みな長時間、お行儀良く真剣に話を聞き、『論語』を学ぶことを楽しんでいる。ある時、瀬戸氏はこんな話をした。
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君たち、派遣村って知っているかな? 一時ニュースですごく話題になっていたでしょう。日本が不況になって、クビになった派遣社員が行く所がなくなってしまった。それで日比谷公園に派遣村をつくり、炊き出しをしてもらって年末年始をしのいでいました。

彼らにインタビューして、「今、手持ちのお金がいくらですか?」と聞くと、千円とか二千円という人がたくさんいました。

みんな、気の毒だ、かわいそうだっていっていたけれど、先生は、そういう人たちに同情する価値はないと思います。ある程度年を取ってクビになった人は気の毒だと思うけど、若い人たちは、それまでにどういう生活をしていたかが問題だと思うんです。
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(「だって、普通は親兄弟や友達が助けてくれるでしょう?」)
なかには月々30万円から50万円も貰っていた人もいる。それなのにクビになって1ヶ月もたたないうちに数千円しか持っていないということは、結局、自分の未来の展望も考えずに、稼いだお金を使い切ってしまっていたのだろう。

「その結果、お金に困るというのは、本人たちの責任だと思います。君たちは絶対にそういう考えを持ってはいけません」と瀬戸氏は子供たちに諭す。
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派遣村のニュースを見ていて、もう一つ不思議に思ったことがあります。寮を追い出されて住む所がないからといって、「これからはテント暮らしです」というのはどういう人なのだろうと思ったのです。

だって、普通は親兄弟や友達が助けてくれるでしょう? 泊まる場所がないという人は、信頼できる友達もいなければ、親兄弟や親戚からも相手にされていないってことなのでしょうか。
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ここで瀬戸氏は、自分の体験を語る。
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実は先生は、大学を卒業して海外へ空手の指導に2年間行っていました。父親が亡くなったので帰ってきたのですが、その後しばらく仕事をしていなかった時期があります。・・・

でも、お金はなかったけれど、それでも先輩や後輩が「うちに来い、うちに来い」って誘ってくれて、泊めてもらっていましたよ。少しも嫌な顔をされることはなかった。お互いに信頼していましたからね。
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(「いい友達をつくる方法」)
瀬戸氏は「いい友達をつくる方法」として、こう述べている。
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みんなは素晴らしい友達を持っていると思うけど、もし君たちの周りに、友達ができなくてすねているような人がいたら、それは自分の責任だということを教えてあげてほしいと思います。

「いい友達が欲しいのなら、一生懸命勉強して自分を磨く以外にないよ。すねている時間があったら本を読んで、勉強しろよ」っていってあげてください。
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その一例として、瀬戸氏は明治のはじめ、岩倉具視を団長として1年10か月もの間、欧米を巡回した視察団に参加した女の子たちの例を挙げている。8歳から16歳の女子が、日本の女子教育を発展させるために選ばれていたのである。

この女の子たちと接したアメリカ人の感想が残されている。それによると、「いま、我が国を訪れた日本の女性たちは、しとやかで上品な起居振る舞いのため、アメリカ人の間にたくさんの友人を得た」と書かれている。瀬戸氏はこう解説する。

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英語が話せない小さい女の子がアメリカに行ってみんなに好かれているのです。言葉が通じなくても、人間としての徳性を身につけていれば、周りに自然と人が集まってくることがわかるでしょう。
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最年少の津田梅子は、後に津田塾大学を創設して、日本の女子教育の先駆者と呼ばれるまでになったが、武家の娘として厳しい家庭教育を受けていたはずである。

(徳は孤ならず。必ず隣あり)
瀬戸氏は「人間としての徳性を身につけていれば、周りに自然と人が集まってくる」事は、歴史を見ても多くの例があるとして、こう説く。

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・・・近江聖人と呼ばれた中江藤樹(とうじゅ)なども滋賀県の小川村という片田舎に住んでいたのに、その人徳を慕って全国から人が集まってきています。当時は電話もないし情報も少ないのに、どこからか彼の評判を聞きつけて学びたいという人が大勢やってきました。

伊藤仁斎(じんさい)にしても、二宮尊徳にしても、佐藤一斎(いっさい)にしても、藤田東湖(とうこ)にしても、西郷隆盛にしても、みんな彼らの徳を慕って全国から人が集まってきています。

「徳は孤ならず。必ず隣あり」の実例は、歴史を振り返れば数限りなく存在しています。

だから、みんなも自分を徳のある人間に磨くように心がけていけば、絶対に寂しい人生を歩むことはありません。
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「徳は孤ならず。必ず隣あり」とは『論語』に出てくる孔子の言葉だが、派遣村で過ごす若者たちも、日頃からこうした言葉を習って自分の人間を磨いていれば、親兄弟や友達が助けてくれたであろう。

そうした学問をしていなかったばかりに、誰も助けてくれない、という寂しい人生を歩む。『論語』が今の我々の人生にも大切な教えを含んでいることが、よく分かる一節である。

(勉強ができる子とできない子の違いはどこから来るのか?)
このように身近な例で『論語』の教えを説いてくれるのが、子供たちが喜んで瀬戸氏の勉強会に参加している理由だろう。

もう一つ、身近な例をあげよう。「子曰(い)わく、教えありて類なし」という一節を説明した部分である。類とは「種類」のことで、人間にはいろいろな種類がある。善い人もいれば悪い人もいる。

学校では「人間はみな平等だ」と教えるが、それなのにどうして善い人と悪い人がいるのだろう、と瀬戸氏は子供たちに問いかける。

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君たちのクラスでも、同じ先生に勉強を習っているのに、勉強ができる人とできない人がいるでしょう? どうしてそうなるのだろう。

それは努力している人と、努力していない人の差です。同じ先生が、同じ情報を皆に与えているのだけれど、「僕は一所懸命に勉強して立派な人間になる」と心に誓っている人の方が、絶対に成績が上がります。
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したがって「教えありて類なし」とは、人間は正しい教えを受けて、一所懸命に勉強することによって、誰でもみな素晴らしい人間になるということです、と瀬戸氏は説く。

すなわち勉強ができるかどうかは本人の努力で決まり、その努力ができるかどうかは、本人の「志」の如何による。

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じゃあ、どういう志で努力をするのがよいのでしょうか。それは「自分は立派な人間になって、世のため人のために役立つ人間になるぞ」という心がけです。その気持ちさえ無くさなければ、君たちは絶対に立派な大人になることができます。
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---owari---
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