(一流校に入って劣等感の塊になる人もいる)
客観的には、他の人が見て、「すごいですね。素晴らしいですね」と言ってくれることであるにもかかわらず、本人にとっては、強い恐怖心や不安から鬱になる状況は数多くあります。
それは理不尽なことであり、傍目には、「なぜ、この人は、このようなことになるのか」ということが、なかなか分からないものですが、それは不安によるものなのです。
たとえば、受験生は、「入試に受からなかったら、どうしよう」と思い、不安で夜も眠れないでしょう。ところが、受かったら受かったで、それなりに大変です。中学であれ、高校であれ、大学であれ、一流校、よい学校であればあるほど、そこへ入ると、周りは優秀な人ばかりになります。そのため、昨日までは秀才だった自分が、あっというまに、“普通の人”になったり、ビリになって“海底を這う深海魚”になったりします。これは大変なショックなのです。
「なぜ、わざわざ、ショックを受けるような学校に入ったのですか」と訊かれても、大勢の人が、「あの学校はよい。あの学校に入ったらすごい」と言うので、本人は入りたかったわけです。ところが、入ったとたんに、普通の人や普通以下の人、あるいは、ビリから数えて何番目の人やビリの人になってしまうのです。
そういう苦痛を味わいたくなければ、その学校へ行かなければよいのですが、やはり、人から尊敬されたくて行きます。そして、半分ぐらいの人は競争に敗れます。半分以上の人が敗れるかもしれません。それで、劣等感を持ち、鬱になります。入試に合格したのに鬱になるのです。このような人はたくさんいます。
日本には有名校が数多くありますが、たとえば東大に入ったとします。朝、渋谷駅から井の頭線の電車に乗って、二駅目の駒場東大前駅で降りると、一緒に大勢の人たちがドドーッと降ります。そのほとんどが東大生です。それを見て、「全員、東大生なのか」と思い、たちまち、劣等感の虜、劣等感の塊になってしまうことがあるのです。
「東大に入学した」ということで、自分の出身地のほうでは、「偉い、偉い、偉い」と言ってもらえたわけです。普通は、「何百人に一人の偉い人」、地域によっては、「一万人に一人の偉い人」という感じになります。
ところが、東大に入ってみると、朝の電車から東大生が何百人も何千人もドーッと吐き出されます。ラッシュの状態で、集団が黒蟻のように出てきます。これで、とたんに劣等感の塊になる人がいるのです。
これを「価値剥奪」といいます。「価値を剥奪される。値打ちがあるものをパリッと剥ぎ取られる」ということです。それまで、「自分は値打ちがある。自分は素晴らしい」と思っていたのに、それが、とたんに“普通の人”になってしまうのです。
ミス・ユニバースの大会に出る人は、普通の女の子の集団にいると美人ですが、同じような人を二十人ほど集めたなかへ入ると、「あの人のほうが脚が長い」「あの人のほうが背が高い」「あの人のほうが目が大きい」「あの人のほうが眉の形がよい」などという点があり、とたんに劣等感の塊になることがあります。そういうことはよくあるのです。
そのように、「ほめられるべきことをしているのに、本人はショックを受ける」ということは、世の中には数多くあるのです。
---owari---
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